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新家長福寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年6月17日 (土)
(東本願寺新家別院から転送)
長福寺は奈良県北葛城郡広陵町三吉新家にある浄土真宗寺院。真宗大谷派。元は東本願寺の御坊・別院だった。新家御坊。東本願寺新家別院。近くに赤部長福寺もある。(参考:同名寺院長福寺)
- 1572年(元亀3年):生島弥太郎、顕如に謁見して剃髪して慶秀と名乗る。
- 1573年(天正1年)8月:教如、慶秀に七条堀川の長福寺を与えて本山堂衆に列す。
- 不詳:徳川家康、慶秀に新家の地を与える。
- 不詳:慶秀、新家に近い赤部に庵を設ける(赤部長福寺)。
- 1609年(慶長14年):慶秀死去。
- 不詳:3世斉円(2世空円とも)、新家拝領地に堂宇を建てる。これが新家長福寺の起源。
- 1652年(承応1年):新家御坊と称す。
- 1697年(元禄10年):斉円、京都長福寺・赤部長福寺・新家長福寺の三つの長福寺を本山に献納した。本山は京都長福寺と新家長福寺を受け取り、赤部長福寺は改めて斉円に下付した。新家長福寺は本山の掛所となった。京都長福寺は山科に寺号を移し現在の山科別院となった。
- 1724年(享保9年):新家別院と称し(?)、長福寺の寺名を継ぐ。輪番は赤部長福寺の住職が務めることとなる。
- 1961年(昭和36年)11月2日:別院から外れて一般寺院となった。(真宗大谷派大和大谷別院に合併という)
広陵町史[1]