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北野天満宮松梅院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年10月13日 (火)

松梅院から転送)
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松梅院(しょうばいいん)は、北野天満宮の社僧を務めた天台宗寺院。徳勝院妙蔵院とともに北野天満宮の三院家の一つ。廃絶。僧侶にも関わらず、菅原道真の後裔とされる吉見氏が世襲した。足利家の御師職となる。

1471年7月、後南朝の皇子一宮が応仁の乱の西軍に迎えられて松梅院に滞在した。 1527年12月23日炎上(実隆公記)。


中近世には毎年正月3日に「裏白連歌」(北野裏白)が行われた。特殊な懐紙を使った連歌で、1557年から1643年までの懐紙が残る。 『北野神社引付』や『北野天満宮文書』を残した。

歴代

  • 菅原道真
  • 高視
  • 雅規
  • 資忠
  • 孝標
  • 定義
  • 在良
  • 為恒
  • 真義
  • 高猷
  • 忠慶
  • 慶厳
  • 仁厳
  • 勝盛
  • 勝禅
  • 慶禅
  • 親禅
  • 慶祐
  • 禅陽()<-1336->:事実上の初代とみられる。足利尊氏に随従し、1336年、足利家の御師職となる。石見法眼。
  • 慶誉
  • 禅厳()<-1365->:禅陽の子。
  • 禅尋
  • 禅能()<-1431->:将軍足利義教の勘気を受けた。
  • 慶芸
  • 禅尚
  • 禅芸
  • 禅親()<-1458->:
  • 禅予()<-1491->:法眼。
  • 禅椿()<-1487>:日野富子から借銭したが返済ができなかったという。1487年解任。
  • 禅祝
  • 禅兆
  • 禅勝
  • 禅果()<>:禅尊?
  • 禅光()<1502->:幼名は梅寿丸。1502年12月13日就任。
  • 禅興(?-1601)<>:将軍足利義晴の養育係だった清光院と懇意だった。娘のおさこが豊臣秀次側室となる。弟に妙蔵院禅祐。1601/1/30死去。
  • 禅永()<-1584->:禅興の子。
  • 禅昌()<-1612>:禅永の子。豊臣秀次事件に連座。のち復権。1612年隠居して徳勝院を建立。
  • 禅意(1596-1636)<1612->:禅昌の子。
  • 禅珍()<-1641->:社法を制定。
  • 尚禅
  • 禅覚()<-1701->:
  • 禅深()<-1736->:
  • 禅章
  • 禅秦
  • 禅恒
  • 禅隆
  • 禅陳(資陳)
  • 光子
  • 「北野社祠官筆頭松梅院の定着と豊臣政権 : 『北野社家日記』禅昌記の考察」[1]
  • 「近世初期の北野社と南光坊天海-松梅院と宮仕の座配争論を中心に」[2]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8E%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE%E6%9D%BE%E6%A2%85%E9%99%A2」より作成

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