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沖縄神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年1月5日 (日)

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旧首里城正殿が沖縄神社拝殿として用いられた

沖縄神社(おきなわ・じんじゃ)は、沖縄県那覇市首里にある霊社県社。元は首里城跡にあったが、戦後、弁ケ嶽内に遷座した。領主奉斎神社

目次

祭神

  • 舜天王
  • 尚円王
  • 尚敬王
  • 尚泰王
  • 源為朝

歴史

  • 1889年頃:第一次県社創立事業案
  • 1909年:第二次県社創立事業案
  • 1914年:第三次県社創立事業案
  • 1914年:第四次県社創立事業案
  • 1921/8月:第五次県社創立事業。
  • 1922/12/26創立申請
  • 1923/3/31創立許可
  • 1923/4/15地鎮祭
  • 1923/9月工事着工
  • 1923/9月首里市会は正殿の取壊を決定
  • 1925/1月竣工
  • 1925/12/24鎮座祭
  • 1926/10/20県社昇格
  • 1926/10/24第一回例祭
  • 1926/11/2神饌幣帛料供進神社に指定
  • 1927/10/20第二回例祭。以後この日が例祭日となる
  • 1928/2月:正殿の修復開始
  • 1933/9/23修復完了
  • 1933/11/23拝殿として竣工
  • 1933/12/1神社に引き渡し
  • 1945/4/18沖縄戦で焼失
  • 1962/2/11弁ケ嶽に小祠として再建

画像

組織

社掌・社司

「首里城と沖縄神社―資料に見る近代の変遷」をもとに追記

  • 尚球(1892-?)<>:男爵尚寅の次男。1892年(明治25年)生。1914年(大正3年)国学院大学師範部国語漢文科卒業。キリスト教の洗礼を受けた[1]。沖縄民報に入社。1918年(大正7年)から1921年(大正10年)まで首里区会議員[2]。1925年(大正14年)12月24日の鎮座祭を奉仕。著書『廃藩当時の人物』[3]
  • 福地民雄(生没年不詳)<~1927~>:波上宮禰宜。1927年(昭和2年)~1935年(昭和10年)[4]頃兼務
  • 仲吉朝睦(1880-?)<1936-1941>:1880年(明治13年)生。1901年(明治34年)沖縄県師範学校卒[5]。1918年(大正7年)2月、北谷町立北谷小学校10代校長[6][7]。1920年(大正9年)から1922年(大正11年)まで浦添小学校校長[8]。著書「琉球土俗と古神道」。1936年(昭和11年)9月[9]から1941年(昭和16年)9月まで沖縄神社社司。のち台湾台北州の北投社に奉仕[10]
  • 上原恵理(1889-1976)<1941-1944>:1889年(明治22年)生。波上宮禰宜。1941年(昭和16年)9月から1944年(昭和19年)まで沖縄神社社司を兼務。のち波上宮宮司。1976年(昭和51年)死去。
  • 安原豊次(1895-1945)<1944-1945>:山口県生。1895年(明治28年)生[11]。皇学館中退。国学院卒。赤間宮禰宜を経て1939年(昭和14年)8月、波上宮宮司。1944年(昭和19年)から沖縄神社社司を兼務。1945年(昭和20年)7月15日、沖縄戦で殉職[12]。(「波上宮宮司安原豊次君の神忠」[13]

資料

  • 2024『首里城と沖縄神社―資料に見る近代の変遷』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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