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河内国分尼寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月24日 (火)
河内国分尼寺は河内国にあったと推定される古代寺院。諸国国分尼寺の一つ。跡地は不明。
河内国分寺の西南西800mの大阪府柏原市国分東条町(河内国安宿部郡)に「尼寺」という小字名があり、ここを推定地とする見解がある。周辺から河内国分寺と同笵瓦が見つかっている。 また大阪府堺市東区菩提町・大阪府堺市美原区菩提(河内国八上郡)に「国分東」「国分池」「国分上」の字名があり、河内国分尼寺があったという伝承がある(大阪府全志)。この伝承によると光明皇后により菩提僊那が建てたが明徳の乱で廃絶となったが、子院の宝珠院(高野山真言宗。法人格はあるようだが、情報なし)が残ったという。