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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

浄光明寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年3月18日 (月)

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浄光明寺(じょうこうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市扇ガ谷にある、北条家足利家ゆかりの真言宗寺院。本尊は阿弥陀如来真言宗泉涌寺派。山号は泉谷山。鶴岡八幡宮の神主を世襲した大伴家大伴神主家墓所がある。(参考:同名寺院浄光明寺_(同名)

歴史

文覚の草庵が前身という。1251年(建長3年)北条長時を開基として真聖国師真阿が創建。1264年(文永1年)、北条長時は浄光明寺で死去(鎌倉年代記)。『吾妻鏡』にある1265年(文永2年)北条長時の追善供養を行った「泉谷新造堂」が浄光明寺と思われる。

2世は性仙道空あるいは真了という。3世は如仙高恵の時代に四宗兼学の寺院として確立した。1333年(元弘3年/正慶2年)の後醍醐天皇綸旨が残る。同年12月、成良親王祈願所となる。1335年(建武2年)、新田義貞が鎌倉攻めした時、足利尊氏が一時蟄居した。 1399年(応永6年)10月、足利満兼が足利基氏と足利氏満の分骨を収めた。

1923年(大正12年)の関東大震災で大破。本堂のみが現存する。

子院として玉泉院、慈恩院、華蔵院、東南院、慈光院、地蔵院、鎌倉・東林寺があった。幕末には慈恩院のみが残っていた。

慈恩院は護良親王の追善のために足利直義が創建。 護良親王位牌は理智光寺を経て東慶寺に現存するという。

(日本歴史地名大系)

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