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浄光明寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年11月3日 (金)
浄光明寺(じょうこうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市扇ガ谷にある、北条家・足利家ゆかりの真言宗寺院。本尊は阿弥陀如来。真言宗泉涌寺派。山号は泉谷山。鶴岡八幡宮の神主を世襲した大伴家の大伴神主家墓所がある。(参考:同名寺院浄光明寺_(同名))
歴史
文覚の草庵が前身という。1251年(建長3年)北条長時を開基として真聖国師真阿が創建。1264年(文永1年)、北条長時は浄光明寺で死去(鎌倉年代記)。『吾妻鏡』にある1265年(文永2年)北条長時の追善供養を行った「泉谷新造堂」が浄光明寺と思われる。
2世は性仙道空あるいは真了という。3世は如仙高恵の時代に四宗兼学の寺院として確立した。1333年(元弘3年/正慶2年)の後醍醐天皇綸旨が残る。同年12月、成良親王祈願所となる。1335年(建武2年)、新田義貞が鎌倉攻めした時、足利尊氏が一時蟄居した。 1399年(応永6年)10月、足利満兼が足利基氏と足利氏満の分骨を収めた。
1923年(大正12年)の関東大震災で大破。本堂のみが現存する。
子院として玉泉院、慈恩院、華蔵院、東南院、慈光院、地蔵院、鎌倉・東林寺があった。幕末には慈恩院のみが残っていた。
慈恩院は護良親王の追善のために足利直義が創建。 護良親王位牌は理智光寺を経て東慶寺に現存するという。 (日本歴史地名大系)