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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

百舌鳥陵墓参考地

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2013年8月25日 (日)

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百舌鳥陵墓参考地
もず りょうぼ さんこうち
Mozu sannkochi 01.jpg
概要 応神天皇の陵墓の候補地・伝承地。
所在地 大阪府堺市北区百舌鳥本町1丁
所在地(旧国郡) 和泉国大鳥郡
陵墓種別 陵墓参考地
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概要

百舌鳥陵墓参考地は、応神天皇陵の候補地とされる墳墓である(『陵墓参考地一覧』)。

百舌鳥御廟山古墳

百舌鳥御廟山古墳(もず ごびょうやま こふん)は、応神天皇の初葬地ともされる古墳。百舌鳥八幡宮の社伝によると最初はこの地に葬られ、そのあと、誉田御廟山古墳に改葬されたという(『泉州志』)(『前王廟陵記』でも改葬説に言及している)。かつては小祠があり、百舌鳥八幡宮の奥の院として別当重楽院の社僧が奉仕していたという。1901年(明治34年)12月9日、百舌鳥陵墓参考地に治定された(『陵墓参考地一覧』、『事典 陵墓参考地』、ただし『大阪府全志5』424には1902年(明治35年)3月に陵墓参考地となったとしている)。

西が百舌鳥御廟山古墳(百舌鳥陵墓参考地)と百舌鳥八幡宮
東が誉田御廟山古墳(現・応神天皇陵)と誉田八幡宮

参考文献

『大阪府全志5』420-424、『事典 陵墓参考地』

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%99%BE%E8%88%8C%E9%B3%A5%E9%99%B5%E5%A2%93%E5%8F%82%E8%80%83%E5%9C%B0」より作成

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