ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。
歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

石塔寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年11月19日 (月)

移動: 案内, 検索

石塔寺(いしどうじ)は、滋賀県東近江市石塔町にある天台宗寺院。本尊は聖観音阿育王が建てた八万四千塔の一つとされる。聖徳太子建立四十六寺の一つ。近江国蒲生郡。正寿院と号す。山号は阿育王山。(参考:同名寺院石塔寺_(同名)

歴史

石造三重塔(高さ7.5m)はインドの阿育王が建てた84000基の仏塔の一つという。実際には奈良時代の建立とみられる。 この塔は百済の石塔の様式に近いとして、天智8年(669)に百済から来た鬼室集斯ら700人が蒲生郡に移住したという日本書紀の記述と結び付ける説があるが、異説もある。

聖徳太子との関連は不明だが、蒲生郡には太子建立の縁起を持つ寺院が多い。 『本朝高僧伝』「寂禅伝」によると、太子が近江に建立した48寺の最後の一つとされ、成就寺と称した。寂禅は治暦3年(1067)、この寺で死去(元亨釈書)。

中世には追善のため、石塔が次々と建てられ、数万基の石塔群となった。

寛永年間、天海門下の行賢が堂宇を再建。 徳川家光から寺領18石を認められる。 幕末、境内整備が進む。

昭和6年、福田海などによって整備された。 (日本歴史地名大系)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9F%B3%E5%A1%94%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール