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河内・大念寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年9月13日 (火)
(石川大念寺から転送)
大念寺(だいねんじ)は、大阪府南河内郡河南町(河内国石川郡大ケ塚村)にある融通念仏宗寺院。河内六別時(中本山)の一つで、石川別時と呼ばれた。紫雲山迎接院と称す。善導筆の二十五菩薩来迎画像を本尊とする。(参考:同名寺院大念寺_(同名))
目次 |
歴史
浄土真宗の大ケ塚御坊(大ケ塚・顕証寺)などが集まる大ケ塚寺内町の中にある。元亨3年(1323)、法明が創建(正中2年(1325)とも)。大伽藍があり、永正2年(1505)の火災で焼失したという。 融通念仏宗寺院としては珍しく挽道場ではなかったという。天文年間(1532-1555)に大ケ塚村に道場が置かれ、慶長13年(1608)に大念寺と称したという( 『融通念佛宗 その歴史と遺宝』21頁)。寺院化について塩野芳夫は、寺内町の発展に歩調を合わせたものと推定している。正保3年(1645)に再建される。木造十一面観音立像は、国重要文化財で、最澄の作と伝える。
組織
歴代住職
文貞まで末寺帳より
- 法明
- 浄因
- 法西
- 宗慶
- 教心
- 幸清
- 三誉
- 広誉
- 文貞
- 浄空
- 慈雲
- 文貞
- 秀雄
- 玄海:1715年2月3日自害
- 智海:1734年死去
- 円応:本山役者だったが、1735年1月25日、大念寺住職。
- 泰全?:1747年、大和国久安寺村の専念寺より入る。???南田辺の大念寺?
- 完冏:1763香衣綸旨
- 範全:1768年9月14日死去
- 義鑑:1819年9月23日、既に隠居していたが暉覚院の号を下付
資料
- 『大阪府全志』4巻
- 大阪市立博物館編、平成3『融通念佛宗 その歴史と遺宝』
- 塩野芳夫著、1995『近世畿内の社会と宗教』和泉書院
- 「紫雲山歴代録」:「大念寺所蔵古記録並びに古文書」『河内石川村学術調査報告―近世村落資料』[1]
- 「末寺僧分御改帳」:1819年(文政2年)2月。[2]
- 「大念寺所蔵古記録並びに古文書」『河内石川村学術調査報告―近世村落資料』[3]
- 大澤研一2017「近世融通念佛宗の成立と民衆」[4]