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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

河内六別時

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2015年11月27日 (金)

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河内六別時 

目次

概要

河内六別時(かわち・ろく・べつじ)は、河内国・摂津国(大阪府)にあった6寺の融通念仏宗の有力寺院。いずれも中興法明の旧跡とされる。融通念仏宗の寺院はもともと定まった建物はなく、挽道場挽寺と呼ばれ、信徒の家を交代に道場としたが、江戸時代に寺院化した。別時(べつじ)とは、別時念仏会(べつじ・ねんぶつえ)を開く道場という意味と思われる。

六別時は他の末寺と異なり、各寺院を中心としてご回在を行っていたと推定されるという。また本山大念仏寺の住職をこの六別時の中からくじで選出していたとされ、『融通念佛宗 その歴史と遺宝』によると、「実質的に大念佛寺の機能が各別時に移動したと思われる」としており、本山も挽道場として各寺院を移動していたことを示唆している。六別時の中でもっとも早く場所を固定化し、寺号を称したのは石川別時で、天文年間に大ケ塚村に道場が置かれ、慶長13年(1608)に大念寺と称したという[1]

大念仏寺大原南坊が本末を争ったときには、法明寺、来迎寺、極楽寺が大念仏寺側に、良明寺、大念寺、高安寺が大原南坊側に付いた。近代には廃絶を免れた喜連法明寺、丹南来迎寺、錦部極楽寺、石川大念寺が中本山となっている[2]

一覧

  • 喜連法明寺(下別時):大阪府大阪市平野区。法明、晩年の隠居寺。
  • 丹南来迎寺(十箇郷別時):大阪府松原市。河内国丹南郡丹南村。法明が中興。丹南藩高木家の菩提寺。
  • 錦部極楽寺(錦部別時):大阪府河内長野市。河内国錦部郡古野村。法明が創建。河内西代藩(伊勢神戸藩)本多家の菩提寺。
  • 平野良明寺(八尾別時):大阪府大阪市平野区。摂津国住吉郡平野荘。法明が創建。廃絶。
  • 石川大念寺(石川別時):大阪府南河内郡河南町。河内国石川郡大ケ塚村。法明が創建。
  • 水越高安寺(高安別時):大阪府八尾市水越。河内国高安郡。法明が創建。廃絶。
  • 法明寺については深江説あり(『融通念佛宗 その歴史と遺宝』)。
  • 高安寺が奈良にあったという説もあるが、根拠不明。

参考文献

  • 融通念佛宗教学研究所、平成10『法明上人 その生涯と信仰』
  • 大阪市立博物館編、平成3『融通念佛宗 その歴史と遺宝』
  • 明治41『融通念仏宗々憲宗規』

脚注

  1. 『融通念佛宗 その歴史と遺宝』21頁。
  2. 『融通念仏宗々憲宗規』明治41
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B2%B3%E5%86%85%E5%85%AD%E5%88%A5%E6%99%82」より作成

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