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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

石津太神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年12月8日 (土)

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石津太神社(いわつた・じんじゃ)は大阪府堺市西区浜寺石津町中にあるえびす信仰の神社。祭神は蛭子命・天穂日命八重事代主命官社論社。村社。

歴史

神代、蛭子命が浜辺に漂着して携えてきた「五色の神石」を置いたことから「石津」の地名が生まれたという。孝昭天皇の時代に社殿を創建して蛭子命を祀った。1736年(元文1年)成立の『石津大社略記』があり、「恵美酒神」を祀るとする。日本最初のえびす神社と称したことから、1768年(明和5年)、摂津の西宮神社と争論となった。具体的には石津太神社の神札頒布を巡って、西宮神社が差し止めを寺社奉行に訴えたが、幕府は河内・和泉の旦那場配札を往古からの慣例として認めた。1769年(明和6年)には江戸湯島天満宮で石津太神社のえびす神が出開帳をしている。官社「石津太神社」に比定されるが、他の候補地として東南1kmに石津神社がある。

主祭神を祀るのは北殿。一方、南殿には北殿には近代以降に合祀した建御名方富命靱大神宮を祀る(誉田別命も?)。 合祀前の北殿と南殿の関係は一考の余地がある。

西500mに位置する石津川北岸に御旅所がある。最初にえびす神が漂着した信仰の発祥の地という。

(日本歴史地名大系ほか)

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