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継体天皇旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年11月24日 (木)

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継体天皇旧跡

目次

概要

旧跡一覧

名称 国郡 所在地 コメント 社格など
高島 水尾神社 近江国高島郡 滋賀県高島市拝戸716 継体天皇生誕地に鎮座する神社。祭神は「磐衝別命、比〓神」である(『滋賀県神社誌』)。磐衝別命は当地で亡くなり、三尾山に葬られた。子の磐城別王は父を祀る神社を創建したという。『新抄格勅符抄』に記載がある。彦主人王は当社の託宣を受けて、振姫が当社を産屋に天迹部王、男迹部王、太迹部王を出産した。この太迹部王が継体天皇である。(『滋賀県神社誌』) 式内社・名神大社・県社
高島 三尾神社跡 近江国高島郡 滋賀県高島市安曇川町 継体天皇生誕地に鎮座する神社。祭神は不詳。1915年(大正4年)、田中神社に遷座している。振媛はこの地で継体天皇らを産んだとされる。元の鎮座地には石碑が建てられ、継体天皇を産むときにもたれた「もたれ石」がある。当社には『秀真伝』が伝わっていたという。(三尾神社跡由緒書き)
高島 継体天皇胞衣塚 近江国高島郡 滋賀県高島市安曇川町三尾里 継体天皇の胞衣塚
坂井 高向神社 越前国坂井郡 福井県坂井市丸岡町高田1-7-1 継体天皇旧跡に鎮座する神社。祭神は「応神天皇」あるいは「継体天皇」という。振媛命を配祀する。継体天皇の母振媛の出身地であり、継体天皇はこの地で育ったという。高向郷の地。1870年(明治3年)、国神神社に遷座し、1886年(明治19年)に合祀された。のち旧地に復興したが、1948年(昭和23年)の福井大地震にて倒壊し、1980年(昭和55年)に復興された。(『玄松子の記憶』) 式内社
坂井 横山神社 越前国坂井郡 福井県坂井市丸岡町坪江19-37 継体天皇旧跡に鎮座する継体天皇奉斎神社。祭神は「継体天皇」である。創建不詳。継体天皇の出身地である高向郷はこのあたりという。近くに椀子皇子墓がある。(『玄松子の記憶』) 式内社・郷社
坂井 伊伎神社 越前国坂井郡 福井県坂井市三国町池上25-2 継体天皇旧跡に鎮座する継体天皇奉斎神社。祭神は「伊邪那美神、速須佐之男神、大山津見神」を主祭神に「日本武尊、男大迹天皇、安閑天皇、大日〓貴命、大山祇女命、伊弉册尊」を祀る(『玄松子の記憶』)。日本武尊の凱旋を迎えた地元民が日本武尊を祀ったのが創始という。継体天皇は幼年期にこの地に宮殿を構えて、当神社を尊崇していたという。のち欽明天皇の時代に、継体天皇と安閑天皇を合祀した。白山神社に合祀されて、白山神社が伊伎神社と改称した。(『玄松子の記憶』) 式内社・村社
坂井 三国神社 越前国坂井郡 福井県坂井市三国町山王6丁目 継体天皇旧跡に鎮座する継体天皇奉斎神社。祭神は「大山咋命、継体天皇、雷神」である(『福井県神社誌』)。三国の地に継体天皇が滞在し、当地開港の事業を行ったが、崩御後に継体天皇を祀ったのが始まりとされる。その後、中世に衰退し、正智院が別当となり、山王権現を祀った。明治初年、「桜谷神社」と改称した。1872年(明治5年)に三国神社がもともと継体天皇を祀っていた神社ということで、水門神社の継体天皇が合祀された。1885年(明治18年)に「三国神社」と改称した。(『福井県神社誌』) 式内社・県社
坂井 水門神社 越前国坂井郡 福井県坂井市三国町南本町 継体天皇宮跡に鎮座していた継体天皇奉斎神社。性海寺の近くにあった。三国の地元民が継体天皇在位中に慕って、寿像を作って御所跡に祀ったものとされる。1523年(大永3年)、性海寺の弁雄が荒廃をみて石像を刻み、石祠を造って復興した。明治に成り三国神社に合祀された。(『継体大王』[1]
坂井 片岸神社 越前国坂井郡 福井県坂井市三国町山岸24-22 継体天皇奉斎神社。祭神は「継体天皇」である。創建不詳。1885年(明治18年)、神明神社を境内社に、片岸神社を境内社から本社に引き直して成立した。(『福井県神社誌』) 式内社・村社
坂井 長田神社 越前国坂井郡 福井県坂井市春江町西長田34-37 継体天皇皇女旧跡に鎮座する継体天皇奉斎神社。継体天皇がこの地に滞在したときに、琵琶媛を娶って千鶴姫が生まれたという。
坂井 天皇堂 越前国坂井郡 福井県坂井市丸岡町女形谷15-7 継体天皇旧跡にある小祠。即位を要請するために派遣した朝廷側使者と継体天皇が会見した旧跡という。
坂井 神明社 越前国坂井郡 福井県坂井市三国町神明2-2 継体天皇旧跡に鎮座する継体天皇奉斎神社。祭神は「天照皇大御神、男大迩皇子」である(『福井県神社誌』)。日和山に氏神として創建。のち継体天皇の行在所跡にこの社を遷座。(『福井県神社誌』) 式内社・郷社
今立 岡太神社 越前国今立郡 福井県越前市粟田部町19 継体天皇御所跡に鎮座する継体天皇奉斎神社。祭神は「建角身命、国狭槌尊、大己貴命」を主祭神として、「継体天皇、彦主人王」などを配祀する(『福井県神社誌』)。継体天皇が王子時代に、九頭龍・足羽・日野の三川を開削し、建角身命・国狭槌尊・大己貴命を祀ったのが創始という。そばにある皇子の森は安閑天皇・宣化天皇の生誕地で、皇子ケ池は安閑天皇・宣化天皇の産湯であるという。継体天皇に纏わる謡曲「花筐」のゆかりの地。境内社に宣化天皇宮や安閑神社がある。佐山媛命旧跡がある。(『福井県神社誌』) 式内社・県社
今立 味真野神社 越前国今立郡 福井県越前市池泉町21-18 継体天皇御所跡に鎮座する継体天皇奉斎神社。祭神は「継体天皇 佐々宣王、建御名方命」などである(『福井県神社誌』)。もと五分市池田に須波阿須疑神社(諏訪神社系か)として鎮座していた。三柱の祭神を分けて、当社を本宮として、上の宮諏訪神社と下の宮諏訪神社を祀った。のち当社を総社や伊弉諾神社と呼ぶようになった。1879年(明治12年)、総社神社と称す。1907年(明治40年)、野々宮神社(継体天皇と佐々宣王)を合祀。1908年(明治41年)、諸社を合祀して、継体天皇の宮跡である現在地に遷座し([2])、味真野神社と改称した。野々宮神社は野々宮廃寺の当りにあったらしい。この地も継体天皇の旧跡という。(『福井県神社誌』) 式内社・村社
今立 五皇神社 越前国今立郡 福井県越前市文室町20-12 継体天皇旧跡に鎮座する継体天皇奉斎神社。祭神は「男大迹王子、誉田別皇子、稚野毛二〓皇子、太郎子皇子、汗斯王子、彦主人王子、伊弉諾尊」である(『福井県神社誌』)。皇子時代の継体天皇が味真野に住んでいたころ、この地を学問所跡とし、先祖の王五代を祀ったという。継体天皇は即位後、大和田卿を当社の宮司としたが、のち大和田卿は継体天皇像を都より迎えて、祀ったという。(『福井県神社誌』) 郷社
今立 日野神社 越前国今立郡 福井県越前市中平吹町80-1 継体天皇旧跡に鎮座する継体天皇奉斎神社。祭神は「日野大神・継体天皇・安閑天皇・宣化天皇」である(『福井県神社誌』)。日野山山頂に奥宮がある。継体天皇が王子時代に御子二人(安閑天皇・宣化天皇)を連れて日野山に登って朝日を拝んだという。『日本紀略』910年(延喜10年)に従五位下授与の記事が見える。日野山大権現として山岳信仰の霊場であった。日野山周辺の向新保・荒谷・常久にも日野神社がある。(『福井県神社誌』) 式内社・郷社
今立 日野神社 越前国今立郡 福井県越前市荒谷22-1 継体天皇旧跡に鎮座する継体天皇奉斎神社。祭神は「百日諾命、百日冉命、天照皇太神、八心思兼神、迦具土神、男大迹天皇、応神天皇、宣化天皇」である(『福井県神社誌』)。庄田町に遥拝所がある。(『福井県神社誌』)
足羽 足羽神社 越前国足羽郡 福井県福井市足羽1丁目8-25 継体天皇奉斎神社。祭神は「継体天皇、大宮地之霊(坐摩神)」である。男大迹王(継体天皇)が大宮地之霊を祀ったのが創始とされる。継体天皇が即位にあたって越前を離れる際に生霊をこの社に鎮め、馬來田皇女を斎主として祀らせたという。田中大秀が建てた「継体天皇御世系碑」がある。東下野、門前、福町に分社がある。(足羽神社ウェブサイト) 式内社・県社
足羽 笏谷神社 越前国足羽郡 福井県福井市足羽5丁目 継体天皇奉斎神社。1899年(明治32年)の創建。足羽山で採掘される石材笏谷石にて継体天皇像を彫り、祀った。(足羽神社ウェブサイト) 村社
足羽 与須奈神社 越前国足羽郡 福井県福井市下市町27-36 継体天皇奉斎神社。祭神は継体天皇ほか4柱である。創建不詳。(『玄松子の記憶』) 式内社・村社
河内 貴船神社交野天神社境内) 河内国交野郡 大阪府枚方市樟葉丘2-19-1 楠葉宮旧跡に鎮座する継体天皇奉斎神社。祭神は「高〓神、継体天皇」である。継体天皇はこの地で即位して楠葉宮を設けたという。貴船神社は古くより当地の氏神であったが、楠葉宮を記念するために宮跡に遷座して、継体天皇を合祀した。 境内社
山城 筒城宮跡 山城国綴喜郡 京都府京田辺市多々羅 筒城宮跡。同志社大学田辺キャンパス内。「筒城宮址」碑がある。
山城 弟国宮跡 山城国乙訓郡 京都府長岡京市今里 弟国宮跡。遺構や伝承地などはないが、長岡京市今里のあたりが旧地だと考えられている。
大和 磐余玉穂宮跡 大和国式上郡 奈良県桜井市池之内 磐余玉穂宮跡。稚桜神社の周辺地域だと考えられている。
陵墓 継体天皇陵 太田考証地(現陵) 摂津国島下郡 大阪府茨木市太田3丁目 継体天皇陵の考証地。現・継体天皇陵。太田茶臼山古墳。 治定陵墓等(陵)
陵墓 継体天皇陵 今城塚考証地 摂津国島上郡 大阪府高槻市郡家新町 継体天皇陵の考証地。今城塚古墳。 治定外陵墓
陵墓 継体天皇陵 山崎伝承地 山城国綴喜郡 京都府京田辺市三山木山崎 継体天皇陵の伝承地。「権現塚古墳」「山崎3号墳」と呼ばれている。近隣には継体天皇皇子を祀る山崎神社がある。 治定外陵墓

参考文献

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%B6%99%E4%BD%93%E5%A4%A9%E7%9A%87%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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