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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

肥前・山王神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年10月7日 (日)

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山王神社(さんのう・じんじゃ)は長崎県長崎市坂本(肥前国彼杵郡)にある山王信仰伊勢信仰の神社。祭神は天照大神豊受比売大神大山咋大神大物主大神伊邪那岐大神高皇産霊神(日本歴史地名大系)。日吉神社と浦上皇大神宮が明治に合併して成立した。県社浦上皇大神宮浦上皇太神宮)。山王宮山王日吉神社

歴史

日吉神社は1638年(寛永15年)の創建。島原の乱で下向した老中松平信綱が地形が比叡山の近くに似て地名も坂本であることから山王権現(日吉大社)を祀ってはどうかと提案。長崎代官と長崎奉行が協力して建てた。1652年(承応1年)現在地に遷座。別当として真言宗の白巌山観音院円福寺があった。1845年(弘化2年)拝殿造営。1849年(嘉永2年)社殿造営。1868年(明治1年)日吉神社と改称。まもなく村社となる。


浦上皇大神宮は1868年(明治1年)、浦上村キリシタンへの取締対策として明治政府が計画。1869年(明治2年)3月に鎮座した。現在の山里小学校の地という。浦上里村の中野郷・家野郷・本原郷の住民を氏子とした。官費で運営されたが1872年(明治5年)官祭停止。1873年(明治6年)7月県社(神道史大辞典。ウェブサイトでは1874年(明治7年))。しかし、住民はキリシタンを棄教せず、1874年(明治7年)8月、台風の被害を受けたこともあり神社は衰退した。1881年(明治14年)、長崎県令内海忠勝は別神社との合併を命じた。1883年(明治16年)12月、合併許可。1884年(明治17年)1月8日、現在地の村社日吉神社に合併した。


1945年(昭和20年)の長崎原爆で被爆。1950年(昭和25年)社殿再建。1960年(昭和35年)拝殿再建。原爆で半壊した一本柱鳥居(二ノ鳥居)が有名。

(神社ウェブサイト、日本歴史地名大系ほか)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%82%A5%E5%89%8D%E3%83%BB%E5%B1%B1%E7%8E%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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