ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

肥前・山王神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年10月7日 (日)

移動: 案内, 検索

山王神社(さんのう・じんじゃ)は長崎県長崎市坂本(肥前国彼杵郡)にある山王信仰伊勢信仰の神社。祭神は天照大神豊受比売大神大山咋大神大物主大神伊邪那岐大神高皇産霊神(日本歴史地名大系)。日吉神社と浦上皇大神宮が明治に合併して成立した。県社浦上皇大神宮浦上皇太神宮)。山王宮山王日吉神社

歴史

日吉神社は1638年(寛永15年)の創建。島原の乱で下向した老中松平信綱が地形が比叡山の近くに似て地名も坂本であることから山王権現(日吉大社)を祀ってはどうかと提案。長崎代官と長崎奉行が協力して建てた。1652年(承応1年)現在地に遷座。別当として真言宗の白巌山観音院円福寺があった。1845年(弘化2年)拝殿造営。1849年(嘉永2年)社殿造営。1868年(明治1年)日吉神社と改称。まもなく村社となる。


浦上皇大神宮は1868年(明治1年)、浦上村キリシタンへの取締対策として明治政府が計画。1869年(明治2年)3月に鎮座した。現在の山里小学校の地という。浦上里村の中野郷・家野郷・本原郷の住民を氏子とした。官費で運営されたが1872年(明治5年)官祭停止。1873年(明治6年)7月県社(神道史大辞典。ウェブサイトでは1874年(明治7年))。しかし、住民はキリシタンを棄教せず、1874年(明治7年)8月、台風の被害を受けたこともあり神社は衰退した。1881年(明治14年)、長崎県令内海忠勝は別神社との合併を命じた。1883年(明治16年)12月、合併許可。1884年(明治17年)1月8日、現在地の村社日吉神社に合併した。


1945年(昭和20年)の長崎原爆で被爆。1950年(昭和25年)社殿再建。1960年(昭和35年)拝殿再建。原爆で半壊した一本柱鳥居(二ノ鳥居)が有名。

(神社ウェブサイト、日本歴史地名大系ほか)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%82%A5%E5%89%8D%E3%83%BB%E5%B1%B1%E7%8E%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール