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能登・光徳寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年12月19日 (水)
光徳寺(こうとくじ)は石川県七尾市馬出町(能登国鹿島郡)にある浄土真宗寺院。浄土真宗本願寺派。別格寺だった。通称は木越光徳寺。山号は木越山。
歴史
加賀国河北郡木越(石川県金沢市木越町)に創建。室町時代から本願寺と関係が深く、1449年(宝徳1年)に蓮如が父存如の秘書として『三帖和讃』を書写し、光徳寺性乗に与えている。西本願寺蔵の同本には「加州木越光徳寺」に記されている。郡内の一向一揆の拠点として勢力を拡大し、 1488年(長享2年)に加賀守護富樫政親を自害させた合戦では光徳寺軍が主力となった。一方で、落城に際し富樫政親の女房らを越中に逃した。享禄の錯乱以降、和田本覚寺に属す一方で本願寺とも関係を保った。
1580年(天正8年)、織田信長軍に攻められ能登国鳳至郡黒島(石川県輪島市門前町黒島町)に亡命。翌年入国した前田利家が本七尾に移転させ、珠洲郡を除く能登三郡の触頭に任じた。府中村を経て1841年(天保12年)現在地に移転した。
石川県金沢市玉川町と八田町にも加賀光徳寺の後身寺院がある。 (日本歴史地名大系)