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芝大神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2026年8月21日 (金)

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芝大神宮(しば・だいじんぐう)は、東京都港区にある伊勢信仰の神社。准勅祭社府社飯倉神明宮芝神明宮ともいう。増上寺関連旧跡


目次

歴史

  • 1005年(寛弘2年)9月16日:一条天皇の勅で伊勢神宮の内外両宮の神を勧請し創建(社伝)。飯倉山(芝公園丸山付近)に鎮座。三田小山の天祖神社を旧地とする異説もある。
  • 1184年(寿永3年/元暦元年)5月3日:源頼朝が武蔵国飯倉を伊勢神宮へ寄進し、飯倉御厨(内宮分)が成立(『吾妻鏡』)。荒木田成長に寄進。文献上の「飯倉」の地名の初出。
  • 1192年(建久3年):『伊勢大神宮神領注文写』に鎌倉将軍家の祈祷所として「飯倉御厨」が記載される。榛谷(神奈川県横浜市保土ケ谷区)・大河土(埼玉県北葛飾郡松伏町)と並び、武蔵国の御厨として登場。
  • 1193年(建久4年):源頼朝、宝剣を奉納し1300貫余寄進(『再校江戸砂子』)。
  • 1337年(建武4年/延元2年)1月7日:足利直義の依頼で戦勝祈願の祈祷を実施(「足利直義御教書」)。
  • 1464年(寛正5年)8月9日:伊勢神宮の庁宣関連文書で飯倉御厨の存続が確認される(「内宮庁宣写」『内宮引付』)。
  • 1469年(文明元年)1月26日:伊勢神宮神主の荒木田氏経が、押領された飯倉御厨などの回復を太田道真・道灌父子に依頼(「荒木田氏経書状写」『内宮引付』)。太田道灌による社領寄進・修復の伝承も残る。
  • 1494年(明応3年):北条早雲が神領を奪い社殿が荒廃(『江戸名所記』)。
  • 1559年(永禄2年):『北条氏所領役帳』に北条氏直轄地や家臣の所領として飯倉が記載される。
  • 1562年(永禄5年)4月16日:北条氏政、本田正勝に飯倉郷の土地を宛行う(「北条氏政判物」『本田文書』。8月29日付「北条家朱印状」も)。
  • 1588年(天正16年)7月24日:吉良家、柴村百姓中へ制札を出す(社蔵文書)。
  • 1591年(天正19年):徳川家康、朱印地15石を寄進。
  • 慶長年間(1596〜1615):飯倉山から現在地に遷座。
  • 1614年(慶長19年):幕府、代々木村の神領15石を寄進。
  • 1634年(寛永11年):徳川家光の命で幕府が社殿を大造営。
  • 1645年(正保2年):江戸における宮芝居の嚆矢とされる興行が境内で開始(座元は江戸七大夫)。
  • 1705年(宝永2年):門前が岡場所として幕府史料に登場(『御町中御法度御穿鑿遊女出入書留』)。
  • 1789年(寛政元年):寛政の改革に伴い、門前地の隠売女が摘発を受ける。
  • 1805年(文化2年)2月:境内の勧進相撲興行において「め組の喧嘩」が発生。
  • 1824年(文政7年):『江戸買物独案内』に社内の料理茶屋「車屋万兵衛」が掲載。
  • 1868年(明治1年)7月17日:<江戸を東京と改称。東京奠都の詔。>
  • 1868年(明治1年)10月13日:明治天皇東京行幸。品川宿を出発して東京城に入城。その途中、増上寺を行在所とした時、内侍所が芝大神宮に奉安された。
  • 1868年(明治1年)11月8日:准勅祭神社となる。
  • 1868年(明治1年)11月15日:神祇官判事の植松雅言が官幣使として芝大神宮、品川神社、赤坂氷川神社、日枝神社に参向。幣帛料5000疋。
  • 1868年(明治1年)12月2日:明治天皇京都還幸に当たり、政府、准勅祭神社に5日から7日間の祈祷と、満座の翌日の御札献上を命じる。芝大神宮では12月4日に命じられ、5日から11日まで行い、太玉串を献上したという(『芝大神宮誌』)。
  • 1868年(明治1年)12月3日:政府、准勅祭神社に月次の祈祷と毎月3日玉串献上を命じる。
  • 1869年(明治2年)1月3日:十社および鹿島・香取・氷川・大国魂・鷲宮の神主が参内。十二社で玉串献上と年頭御礼。
  • 1869年(明治2年)3月5日:明治天皇再度東幸にあたり、政府、准勅祭神社に3月7日から7日間の祈祷を命じる。芝大神宮では6日に命じられ、7日から13日まで祈祷したという(『芝大神宮誌』)。14日に12社一同が揃って玉串を献上したという。
  • 1869年(明治2年)3月28日:明治天皇、東京入城。芝大神宮が内侍所の奉安所になる予定だったが、品川から直接入城したので使われなかった(『芝大神宮誌』、宮内省文書)。
  • 1869年(明治2年)7月1日:天候不順で雨が続くため風雨順次・五穀成熟の祈祷を7月3日から7日間行うよう、大宮氷川神社、芝大神宮、日枝神社の3社に命じる。7月2日に町触。5日には氷川神社に町尻量衡が参向。6日には芝大神宮と日枝神社に六条有義が奉幣使として参向した(『芝大神宮誌』)。
  • 1869年(明治2年)9月:芝大神宮、大祭執行し、太玉串献上(『芝大神宮誌』)。
  • 1870年(明治3年)9月28日:明治政府、准勅祭神社を廃止。
  • 1870年(明治3年)閏10月7日:宮城の蓮池門弾薬庫で火災があり、神祇官神殿が芝大神宮に一時動座した。同日還座。12日に神祇官神殿に勅使参向。明治3年8月17日には日枝神社が避難所に指定されていたがなぜか使われなかった(『芝大神宮誌』[1])。
  • 1872年(明治5年)5月10日:府社に列格。
  • 1872年(明治5年)7月17日:「芝大神宮」改称を東京府に申請。8月7日再度願出。
  • 1872年(明治5年)8月30日:太政官の許可を得て「芝大神宮」と改称[2]
  • 1876年(明治9年):明治の大火で社殿を焼失。
  • 1923年(大正12年)9月1日:関東大震災で社殿を焼失。
  • 1945年(昭和20年):東京大空襲で被災。
  • 1964年(昭和39年):現在の本殿・社殿が総檜造りで再建。
  • 1966年(昭和41年):「貯金塚(根気の碑)」建立。

組織

西東家

小泉家

別当

芝・金剛院

諸職

歴代宮司

  • 吉村重定まで1942『芝大神宮誌』[3]より。
芝大神宮歴代宮司(祠官・社司)一覧
生没年 在職年 略歴
1 常世長胤 1832-1886 1872-1872 国学者。1872年(明治5年)5月から1872年(明治5年)11月まで芝大神宮祠官。
2 山下常蔵 1835-1898 1872-1873 1835年(天保6年)生。還俗神職。僧名は鷲嶽元令。臨済宗円福僧堂に掛塔。蘇山玄喬の法嗣。31歳で大慈寺住職。1869年(明治2年)、藩命で還俗。琉球に赴く。鹿児島で儒学を学ぶ。松方正義の知己を得て東京に赴き、教部省に奉職。1872年(明治5年)11月から1873年(明治6年)3月までと1873年(明治6年)3月から1874年(明治7年)10月まで芝大神宮祠官。教導職権中講義。1898年(明治31年)7月14日死去。64歳。諡号は玄幽庵大機独妙首座。(禅林僧宝伝[4]
3 山下常蔵 1835-1898 1873-1874 1873年(明治6年)3月から1874年(明治7年)10月まで芝大神宮祠官(再任?)。
4 稲葉正邦 1834-1898 1874-1878 神道本局初代管長。幕府老中。京都所司代。淀藩主。陸奥二本松藩主丹羽長富の子。子爵。1874年(明治7年)11月から1878年(明治11年)5月まで芝大神宮祠官。1885年(明治18年)10月、神道本局管長。
5 諏訪忠誠 1821-1898 1878-1879 諏訪神社宮司。高島藩主。子爵。寺社奉行、若年寄、老中を歴任。1878年(明治11年)7月から1879年(明治12年)6月まで芝大神宮祠官。
6 鴻雪爪 1814-1904 1879-1879 御嶽教2代管長。還俗神職。元は曹洞宗僧侶。1879年(明治12年)6月から1879年(明治12年)12月まで芝大神宮祠官。
7 穂積耕雲 1824-1892 1879-1882 国学者。1879年(明治12年)12月から1882年(明治15年)2月まで芝大神宮祠官。氷川神社少宮司。安房神社宮司。
8 諏訪忠誠 1821-1898 1882-1888 1882年(明治15年)4月から1888年(明治21年)11月まで芝大神宮祠官(再任)。
9 戸田忠友 1847-1924 1890-1894 子爵。宇都宮藩主。奏者番兼寺社奉行。1890年(明治23年)6月から1894年(明治27年)8月まで芝大神宮社司。宇都宮二荒山神社日枝神社などの宮司を歴任。
10 諏訪忠誠 1821-1898 1895-1897 1895年(明治28年)8月から1897年(明治30年)5月まで芝大神宮社司(再任)。
11 松平信安 1864-1918 1899-1902 出羽上山藩主。子爵。1899年(明治32年)8月から1902年(明治35年)10月まで芝大神宮社司。
12 松平頼安 1856-1940 1903-1909 宍戸松平家当主。子爵。常磐神社初代宮司。1903年(明治36年)中から1909年(明治42年)5月まで芝大神宮社司。
13 諏訪頼固 1885-1937 1909-1911 諏訪いし(諏訪大社大祝の諏訪頼武の室)の養子。鳥居悦太郎の子。諏訪忠誠の外孫。初名は鎗太郎。1909年(明治42年)6月から1911年(明治44年)12月まで芝大神宮社司。
14 諏訪忠元 1870-1941 1913-1920 子爵。諏訪忠誠の養子。1913年(大正2年)2月から1920年(大正9年)2月まで芝大神宮社司。
15 安原清輔 生没年不詳 1920-1922 1920年(大正9年)2月から1922年(大正11年)1月まで芝大神宮社司。著書に『神社と宗教』[5]、『天皇及偉人を祀れる神社』[6]など。
16 青戸波江 1857-1929 1922-1929 国学院大学祭式教授。1922年(大正11年)4月から1929年(昭和4年)3月まで芝大神宮社司。
17 諏訪忠元 1870-1941 1929-1941 1929年(昭和4年)4月から1941年(昭和16年)2月まで芝大神宮社司(再任)。
18 吉村重定 1941- 1941年(昭和16年)2月から芝大神宮社司。
山田将夫
勝田勇
勝田博之

画像

資料

  • 1942『芝大神宮誌』[7]
  • 『寺社書上』[51]芝神明社書上乾[8]
  • 『寺社書上』[52]芝神明社書上坤[9]
  • 芦滝南子1933「芝神明と飯倉神明に就て」『武蔵野』20巻7号[10]
  • 『芝神明御参詣之図』[11]]
  • 羽倉敬尚1935「芝神明の神主西東家の墓」『掃苔』4巻1号[12]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%8A%9D%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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