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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

薩摩・浄光明寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年3月21日 (土)

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浄光明寺(じょうこうみょうじ)は、鹿児島県鹿児島市上竜尾町にある島津家ゆかりの時宗寺院。本尊は阿弥陀如来。初代島津忠久から5代までと、島津吉貴の菩提寺。跡地に南洲神社が建てられた。無量寿院。山号は松峰山。(参考:同名寺院浄光明寺_(同名)

歴史

1186年(文治2年)、島津忠久が薩摩に下る時、宣阿説誠を伴い、浄光明寺を創建。あるいは1196年(建久7年)の創建ともいう。

1276年(建治2年)頃、大隅正八幡宮を参詣した一遍(1239-1289)に島津久経が帰依して時宗となった。島津久経が1284年(弘安7年)、父の島津忠時13回忌にあたり中興。1518年(永正15年)、遊行上人23世他阿称愚(1470-1518)が浄光明寺で死去。1717年(享保2年)4月、火災で焼失。島津吉貴が再建。島津吉貴が葬られた。

1869年(明治2年)廃仏毀釈で廃絶。跡地に龍尾神社を創建。 1883年(明治16年)、子院芳林庵跡に浄光明寺を再建。元の浄光明寺の跡には南洲墓地が設けられた。島津吉貴の墓は1970年(昭和45年)島津家福昌寺墓地に改葬された。

(日本歴史地名大系)

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