ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
証金剛院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年9月15日 (木)
証金剛院(しょうこんごういん)は京都府京都市伏見区中島前山町(山城国紀伊郡)にあった寺院。鳥羽離宮南殿の付属御堂で白河上皇の御願寺。廃絶。本尊は丈六の阿弥陀如来像。現在の鳥羽離宮跡公園のあたりにあった。新御堂と呼ばれた。
歴史
南殿は鳥羽離宮の諸殿の中でも最初に造営された場所。南殿の北側にあった。 1098年10月26日、御堂の起工。 白河上皇が発願して康和3年(1101)3月29日に落慶。法要の導師を顕儀が務めた。僧侶5口が設置された。 本尊は円派仏師の円勢(のち清水寺別当)が手掛けた。 4月25日、堀河天皇が行幸した。 三重塔を含む三つの塔が建てられた。 1131年、鳥獣戯画の作者ともいわれる覚猷が証金剛院別当となり、ここに常住したため鳥羽僧正と呼ばれた。 1960年代に京都府教育委員会が発掘調査を行い、跡地と推定される遺構が確認されている。(京都市「京都歴史散策マップ」[1])
(『日本歴史地名大系』)