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豊前・長岡神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年1月30日 (日)
長岡神社は福岡県北九州市小倉南区徳力(豊前国企救郡)にあった細川家の霊社。小嵐山にあった。祭神は細川幽斎・細川忠興。跡地不明。豊前・蒲生八幡宮に合祀されたとみられる。長岡社、長岡宮。(参考:同名神社長岡神社)
細川忠興が小倉城主の時代、京都嵐山から桜の木を移し徳力山を嵐山(小嵐山)と改名した。 神理教の伝によれば桜の植樹は徳力山の造化大神宮に祈願して病気が治りその報謝のためのものだった。神理教教祖佐野経彦の著書によれば、長岡神社は、慶長年間に祖先の佐野左馬が徳力山(小嵐山)の造化大神宮に細川幽斎の霊を合わせて祀ったのが始まりという。
のち蒲生八幡宮が祭祀するようになり、1868年(明治1年)の時点では蒲生八幡宮境内に遷座していたようだ。1868年(明治1年)の佐野経彦著『企救郡誌』の「徳力山」の項目に「嵐山の東の尾を云。昔物部伊美伎が勅を奉じて天神を奉りし小社あり。造化大神宮と云しを、慶長年中佐野左馬、此山に細川藤孝の霊を祭り、共に合せて長岡社と云。其後忠興朝臣より再建ありしが、寛永九年に到り、細川忠利朝臣肥後国に移り給ひて後、祭主の家おとろへければ、今は蒲生社の境内にわけうつす」とある。
高田吉近著1865年(慶応1年)『豊前国志』の「蒲生八幡宮」の項目にも「末社二十一社」の一つに「長岡社」とある。また同書の「嵐山」の項目に「昔徳力山に長岡の宮あり。従二位細川玄旨候、同三位忠興候の魂を祭る。忠興朝臣御自作の鈴有。今に佐野経彦家に持所なり。其鈴に彫付有。徳利木の山の岩根に跡たれて我長岡の宮は万代。忠興。此社は徳力村の嵐山にあり。蒲生の末社也」とあり、長岡社に関連して佐野家に細川忠興自作の鈴が伝わっていたと記す。徳力山と小嵐山(嵐山)の関係については諸説あるようだ。
蒲生八幡宮の「神社明細帳」に「細川忠孝(ママ)外二神散在神祠、明治十三年六月本社に合併す」とあり、1880年(明治13年)6月に蒲生八幡宮に合祀されたらしい。 (伊東尾四郎1931『企救郡誌』)