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豊臣秀長墓
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年10月8日 (月)
奈良県大和郡山市箕山町にある豊臣秀長の墓。豊臣氏の祭祀も参照。大納言塚と呼ばれている。
奉斎
豊臣秀長(1541-1591)は秀吉の異父弟。母は秀吉と同じ大政所。父は大政所が再婚した竹阿弥(筑阿弥)。常に秀吉の片腕として補佐した。1585年(天正13年)、大和郡山城主。1586年(天正14年)1月、参議従三位。10月権中納言。11月正三位。ついで従二位権大納言となり、「大和大納言」と呼ばれた。1591年(天正19年)1月22日、郡山城で病死。51歳。墓所は郡山城近くにある。菩提寺は大徳寺大光院、春岳院。大光院殿前亜相春岳紹栄大居士。羽柴秀長。
歴史
遺骸は美濃山(箕山)の西に埋葬され、その東南に菩提寺の大光院が創建された。しかし、豊臣氏滅亡で荒廃。大光院は京都大徳寺内に移転した。秀長の位牌は近くの真言宗春岳院(当初は東光院)に継承された。1758年(宝暦8年)、春岳院栄隆が墓所の復興を発願。1777年(安永6年)町民らの寄進で現在の五輪塔や土塀を整備した。(日本歴史地名大系)