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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

豊臣秀長墓

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年10月8日 (月)

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奈良県大和郡山市箕山町にある豊臣秀長の墓。豊臣氏の祭祀も参照。大納言塚と呼ばれている。

奉斎

豊臣秀長(1541-1591)は秀吉の異父弟。母は秀吉と同じ大政所。父は大政所が再婚した竹阿弥(筑阿弥)。常に秀吉の片腕として補佐した。1585年(天正13年)、大和郡山城主。1586年(天正14年)1月、参議従三位。10月権中納言。11月正三位。ついで従二位権大納言となり、「大和大納言」と呼ばれた。1591年(天正19年)1月22日、郡山城で病死。51歳。墓所は郡山城近くにある。菩提寺は大徳寺大光院、春岳院。大光院殿前亜相春岳紹栄大居士。羽柴秀長。

歴史

遺骸は美濃山(箕山)の西に埋葬され、その東南に菩提寺の大光院が創建された。しかし、豊臣氏滅亡で荒廃。大光院は京都大徳寺内に移転した。秀長の位牌は近くの真言宗春岳院(当初は東光院)に継承された。1758年(宝暦8年)、春岳院栄隆が墓所の復興を発願。1777年(安永6年)町民らの寄進で現在の五輪塔や土塀を整備した。(日本歴史地名大系)

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