ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
自玉手祭来酒解神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年9月2日 (日)
(酒解神社から転送)
自玉手祭来酒解神社(たまてよりまつりきたる・さかとけ・じんじゃ)は京都府乙訓郡大山崎町大山崎にある牛頭天王信仰の神社。天王山中腹の宝積寺からさらに登り山頂近くに鎮座する。官社。郷社。橘氏の氏神。酒解神社。山崎社(山埼社)。山崎明神(山埼明神)。天神八王子社。大山崎天王社。
歴史
古代
創建不詳。「自玉手祭来」(たまてよりまつりきたる)という名から「玉手」という場所から分霊されたとみられるが、「玉手」はどこか不明。『延喜式』神名帳に「元名山埼社」ともあり、山崎にあった神社に「玉手」から招いた神を合祀したとの見方もある。
『続日本後紀』によると、839年(承和6年)4月13日、神階を授けられ、無位から従五位下となり、843年(承和10年)4月1日、正五位下・名神となった。843年(承和10年)の時は同じ酒解神を祀る梅宮大社の昇階と同時に行われた。848年(嘉祥1年)3月13日、御戸代田2町が与えられた。
中世
酒解神社の名は失われ、鎌倉時代には天王山に天神八王子社があった。大山崎天王社とも言われた。山崎郷の産土神として発展。東西の宮座があった。1813年(文化10年)2月、神輿庫を残して焼失。1820年(文政3年)に再建。1868年(明治1年)5月、天神八王子の名を廃した。1877年(明治10年)、京都府が式内社(官社)の酒解神社に決定した。摂社として大己貴社がある。神輿庫は現存最古の校倉造。
1868年(明治1年)、天王山で自刃した志士らの墓地が参道途中に改葬され、天王山官修墳墓となった。 (日本歴史地名大系)