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長講堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年7月10日 (水)
長講堂(ちょうこうどう)は、京都府京都市下京区本塩竈町にある皇室ゆかりの浄土宗寺院。元は後白河法皇の六条西洞院殿に付属した仏堂。西山浄土宗。本来は長講堂は法華長講弥陀三昧堂の略で、法華長講会と念仏三昧をともに行う仏堂の一般名称。 現在地の付近は陸奥国塩竈の情景を模した河原院の跡地とされる。河原院も参照。
歴史
平安京六条の地は源頼義が建立したみのわ堂や京都・若宮八幡宮などがあり、源氏が拠点とした地であった。 一方、元々後白河法皇が御所としていた法住寺殿七条殿にも長講堂は1177年(治承1年)4月に既に建てられていた。
法住寺殿が1183年(寿永2年)木曽義仲の焼き討ちで焼失した後、法皇は六条西洞院殿に移り、法住寺殿には戻らなかった。これは法皇が法住寺殿があった平氏の拠点を離れ、源氏勢力の支援を求めたことが背景にあるという。
長講堂は1184年(元暦1年)から1185年(文治1年)ごろに創建された。その直後1188年(文治4年)4月、六条殿の火災で焼失するが同年末に鎌倉幕府の支援で再建された。1191年(建久2年)10月には後白河院領が寄進され、長講堂領が成立した。1208年(承元2年)、1273年(文永10年)、若宮八幡宮とともに焼失と再建を繰り返している。
一方、1191年(建久2年)に再建された法住寺殿七条殿にも長講堂が建立されたが、蓮華王院付属の阿弥陀堂とみなされた。のち土御門殿にも新長講堂が建立された。
参考文献
- 山田邦和 2006「後白河天皇陵と法住寺殿」『院政期の内裏・大内裏と院御所』文理閣
- 「長講堂」『古事類苑』[1]