ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。
歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

隅田八幡神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年1月5日 (土)

移動: 案内, 検索
隅田八幡神社
すだ はちまん じんじゃ
概要 応神天皇行在所旧跡に鎮座する八幡宮。石清水八幡宮隅田別宮。
所在地 和歌山県橋本市隅田町垂井622
所在地(旧国郡) 紀伊国伊都郡
社格など 県社
関連記事

隅田八幡宮は、和歌山県橋本市にある八幡信仰の神社。応神天皇紀伊上陸のときの行在所旧跡。祭神は、「誉田別尊、足仲彦尊、息長足姫尊、丹生都比売命」である(『神道史大辞典』1105)。県社石清水八幡宮別宮の一つ。


応神天皇が武内宿祢に伴われて、紀伊から大和に赴く途中に滞在した行在所とされる場所とされ、欽明天皇の時代、勅によってその行在所跡に神社を創建したとされる。のち石清水八幡宮の別宮として隅田荘の鎮守となる。1105年(長治2年)、長忠延が俗別当となり、以後、隅田氏が世襲した。1560年(永禄3年)、松永久秀の攻略によって社殿焼失したが、慶長年間に再建された。1819年(文政2年)に社殿を焼失。1822年(文政5年)再建されたのが現在の社殿である。神宮寺として大高能寺(高野山真言宗)があったが、神仏分離で分離した。1873年(明治6年)村社に列格し、1916年(大正5年)11月に県社に昇格した。国宝「隅田八幡神社人物画像鏡」を所蔵。神功皇后遺物塚がある。近くの隅田古墳は武内宿祢の墓ともいわれる。(隅田八幡神社ウェブサイト、『全国八幡神社名鑑』111、『神道史大辞典』「府県社一覧」)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%9A%85%E7%94%B0%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール