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龍翔寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年4月24日 (日)

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大徳寺(国土地理院空中写真より)

龍翔寺は、京都府京都市北区の大徳寺山内にある、現在の臨済宗各派につながる応灯関派の開祖南浦紹明の塔所。大徳寺塔頭。後宇多天皇の菩提寺。十刹10位。臨済宗大徳寺派専門道場大徳僧堂)が置かれている。旧地には皇室治定の後宇多天皇髪塔礼子内親王墓がある。

歴史

龍翔寺跡地にある後宇多天皇髪塔・背後から

元は太秦安井にあった。延慶2年(1309)、後宇多法皇が離宮柳殿御所を寄進し、帰依した南浦紹明の塔所として創建した。のち後宇多天皇の遺髪塔が建てられた。『祥雲夜話』で知られる祥雲庵もあった。最後の賀茂斎院であった嘉陽門院礼子内親王の墓が残されており、賀茂斎院の跡地という説もある。

室町時代以降、衰退し、一休宗純が援助するなどしている。大永7年(1527)には戦乱で焼失した。そこで大徳寺の天啓宗インが天文8年(1539)が寺内に土地を確保し移転。ただ南浦紹明の墓、後宇多天皇塔は旧地に残された。

明治初年の改革で、合併廃止となり、跡地には三玄院が移ってきて伽藍を継承する。大正14年(1925)、天瑞寺跡地に再興され、昭和2年(1927)に大徳寺派専門道場が設置された。(京都風光[1]、本朝寺塔記[2]

組織

大徳僧堂歴代師家

  • 儀山善来(1802-1878)<1872->:1872年(明治5年)僧堂開単。
  • 菅広州(1840-1907)<1892-1895>:1892年(明治25年)7月から1895年(明治28年)まで管長兼僧堂師家。
  • 円山要宗(1871-1940)<1919-1933>:大徳寺派管長6代。大徳寺488世。1919年(大正8年)大徳僧堂師家。1924年(大正13年)4月6日開堂し、大徳寺派管長。1925年(大正14年)龍翔寺を再興。1927年(昭和2年)、大徳僧堂を聚光院から龍翔寺に移転させた。1933年(昭和8年)、師家・管長を辞任して山科指月林に隠棲。
  • 松岡寛慶(1876-1934)<1933-1934>:大徳寺派管長7代。大徳寺495世。1933年(昭和8年)から1934年(昭和9年)まで大徳僧堂師家。
  • 太田晦巌(1877-1946)<1935-1946>:円覚寺派管長7代。大徳寺派管長8代。大徳寺489世。1935年(昭和10年)7月から1946年(昭和21年)まで大徳僧堂師家。
  • 後藤瑞巌(1879-1965)<1947-1950>:妙心寺派管長20代。大徳寺派管長9代。1947年(昭和22年)大徳僧堂師家・大徳寺派管長。高齢のため小田雪窓が師家代参を務める。
  • 小田雪窓(1901-1966)<1950-1966>:大徳寺派管長11代。1950年(昭和25年)9月30日から1966年(昭和41年)まで大徳僧堂師家。
  • 中村祖順(1922-1983)<1967-1983>:大徳寺派管長13代。1967年(昭和42年)10月、大徳僧堂師家。
  • 高田明浦(1943-)<1984->:大徳寺派管長15代。1984年(昭和59年)7月、龍翔寺住職・大徳僧堂師家。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%BE%8D%E7%BF%94%E5%AF%BA」より作成

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