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得長寿院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年9月15日 (木)
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+ | 発掘調査で建物の遺構が確認されているが、三十三間堂の跡は未確認。徳成橋の南端西側の冷泉通沿に跡地を示す石碑がある。 | ||
+ | (国史大辞典、日本歴史地名大系) | ||
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2022年9月15日 (木) 時点における最新版
得長寿院(とくちょうじゅいん)は、平安京郊外の白河殿に付属した鳥羽上皇の御願寺。京都・尊勝寺の西側、白河南殿の東側にあった。平忠盛が造営した観音堂があり、東山の蓮華王院と同じ規模を持つ巨大な三十三間堂だった。中央に丈六観音を祀り、左右に500体ずつの観音像を並べた。長承元年(1132)3月13日に落慶。忠盛はこの功績で昇殿が許され、平氏一門の政界進出のきっかけになった。文治元年(1185)7月の地震で伽藍倒壊。再建されることなく、衰退し廃絶した。観音像の一部は蓮華王院に移されたが、火災で焼失した。 発掘調査で建物の遺構が確認されているが、三十三間堂の跡は未確認。徳成橋の南端西側の冷泉通沿に跡地を示す石碑がある。 (国史大辞典、日本歴史地名大系)