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百舌鳥陵墓参考地
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年12月10日 (日)
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==百舌鳥御廟山古墳== | ==百舌鳥御廟山古墳== | ||
'''百舌鳥御廟山古墳'''(もず ごびょうやま こふん)は、応神天皇の初葬地ともされる古墳。[[百舌鳥八幡宮]]の社伝によると最初はこの地に葬られ、そのあと、誉田御廟山古墳に改葬されたという(『泉州志』)(『前王廟陵記』でも改葬説に言及している)。かつては小祠があり、百舌鳥八幡宮の奥の院として別当重楽院の社僧が奉仕していたという。1901年(明治34年)12月9日、'''百舌鳥陵墓参考地'''に治定された(『陵墓参考地一覧』、『事典 陵墓参考地』、ただし『大阪府全志5』424には1902年(明治35年)3月に陵墓参考地となったとしている)。 | '''百舌鳥御廟山古墳'''(もず ごびょうやま こふん)は、応神天皇の初葬地ともされる古墳。[[百舌鳥八幡宮]]の社伝によると最初はこの地に葬られ、そのあと、誉田御廟山古墳に改葬されたという(『泉州志』)(『前王廟陵記』でも改葬説に言及している)。かつては小祠があり、百舌鳥八幡宮の奥の院として別当重楽院の社僧が奉仕していたという。1901年(明治34年)12月9日、'''百舌鳥陵墓参考地'''に治定された(『陵墓参考地一覧』、『事典 陵墓参考地』、ただし『大阪府全志5』424には1902年(明治35年)3月に陵墓参考地となったとしている)。 | ||
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2023年12月10日 (日) 時点における最新版
百舌鳥陵墓参考地は、大阪府堺市北区百舌鳥本町1丁(和泉国大鳥郡)にある応神天皇の陵墓の候補地。陵墓参考地。
百舌鳥御廟山古墳
百舌鳥御廟山古墳(もず ごびょうやま こふん)は、応神天皇の初葬地ともされる古墳。百舌鳥八幡宮の社伝によると最初はこの地に葬られ、そのあと、誉田御廟山古墳に改葬されたという(『泉州志』)(『前王廟陵記』でも改葬説に言及している)。かつては小祠があり、百舌鳥八幡宮の奥の院として別当重楽院の社僧が奉仕していたという。1901年(明治34年)12月9日、百舌鳥陵墓参考地に治定された(『陵墓参考地一覧』、『事典 陵墓参考地』、ただし『大阪府全志5』424には1902年(明治35年)3月に陵墓参考地となったとしている)。
参考文献
『大阪府全志5』420-424、『事典 陵墓参考地』