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檜山護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
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*9月7日:上旬に完成。新政府側から森清蔵らが検分 | *9月7日:上旬に完成。新政府側から森清蔵らが検分 | ||
*10月19日:25〜27日に祭典執行を告知 | *10月19日:25〜27日に祭典執行を告知 | ||
| - | * | + | *10月25日:藤枝政延を斎主として祭典。三日間の予定だったが、26・27日は雨天延期となり、25・28・29日に行われた。28日に藩主代理として今井晦輔が参拝。式次第も残る。92柱を祀る。明治元年戦死の松前藩17柱、江差大病院で戦傷死した2柱が追加された。攻め込まれた状況での明治元年の松前藩戦死者については「遺骸が埋葬されているかどうかは疑問のあるところ」(江差町史)という。以後、5月17日と10月17日を祭日とした。 |
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*明治3年10月:山口藩が森清蔵を派遣して祭祀料を奉納 | *明治3年10月:山口藩が森清蔵を派遣して祭祀料を奉納 | ||
*明治5年5月17日:前年の廃藩置県のため、「供祭」(共祭?)となった。以後、年に一度6月17日とする。 | *明治5年5月17日:前年の廃藩置県のため、「供祭」(共祭?)となった。以後、年に一度6月17日とする。 | ||
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*昭和14年3月15日:江差護国神社と改称 | *昭和14年3月15日:江差護国神社と改称 | ||
*昭和22年7月1日:松之岱神社と改称 | *昭和22年7月1日:松之岱神社と改称 | ||
| + | *昭和45年10月:檜山護国神社と改称。 | ||
| + | (『江差町史』、北海道神社庁ウェブサイト) | ||
==資料== | ==資料== | ||
2024年2月22日 (木) 時点における版
檜山護国神社(ひやま・ごこく・じんじゃ)は北海道檜山郡江差町本町にある招魂社。官祭招魂社。指定外護国神社。松前護国神社と同様に松前藩松前家が創建した。江差招魂社、江差護国神社、松之岱神社。江差官修墳墓が隣接。近くに本願寺江差別院、真宗大谷派江差別院がある。
目次 |
歴史
1869年(明治2年)5月創建(『靖国神社誌』)。
- 明治2年4月9日:新政府軍が乙部に上陸し、戦闘始まる。同月、松前藩が相撲取山に「霊所」を開設。以後の戦死者の遺体は江差会議所に運ばれ、埋葬した。『軍中見聞記』に「万事神葬祭唯今之処にては仮埋之よしに御座候」とあり、『藤枝文書』に「角力山に霊神を求め此処におきて神葬祭にて鎮祭趣被仰付、時神主藤枝主税・藤枝正延相勤め祭主に而、乙部神主を頼み申候」とある。
- 5月18日:榎本軍降伏
- 5月19日:問屋中が御旗一対を奉納。この日までに鳥居を建立(軍中見聞記)
- 5月21日:藤枝主税を斎主として祭典。埋葬した73柱を祀った。松前藩、備後福山藩、山口藩、徳山藩、弘前藩、岡山藩、久留米藩、大野藩、水戸藩、函館府から各5人が参列。この時点で松前藩の一部は本埋葬だったがその他は仮埋葬だった。
- 5月22日:姥神大神宮で山口藩と徳山藩が合同で霊神祭。
- 5月下旬:区画整備が終わり、墓石建立が本格化。墓石は上ノ国塩吹村のものを用い、敷石、石柵には越前石を使用した。
- 9月7日:上旬に完成。新政府側から森清蔵らが検分
- 10月19日:25〜27日に祭典執行を告知
- 10月25日:藤枝政延を斎主として祭典。三日間の予定だったが、26・27日は雨天延期となり、25・28・29日に行われた。28日に藩主代理として今井晦輔が参拝。式次第も残る。92柱を祀る。明治元年戦死の松前藩17柱、江差大病院で戦傷死した2柱が追加された。攻め込まれた状況での明治元年の松前藩戦死者については「遺骸が埋葬されているかどうかは疑問のあるところ」(江差町史)という。以後、5月17日と10月17日を祭日とした。
- 明治3年10月:山口藩が森清蔵を派遣して祭祀料を奉納
- 明治5年5月17日:前年の廃藩置県のため、「供祭」(共祭?)となった。以後、年に一度6月17日とする。
- 明治9年4月17丹生:招魂社を設けるように指示。墳墓地と分離。祭日を7/20に変更
- 明治13年6月:祭日を7/8に変更
- 明治34年7月16日:改修起工。
- 明治35年6月18日:竣工。総工費3919円6銭。
- 大正11年3月31日:5月17日に変更
- 昭和14年3月15日:江差護国神社と改称
- 昭和22年7月1日:松之岱神社と改称
- 昭和45年10月:檜山護国神社と改称。
(『江差町史』、北海道神社庁ウェブサイト)
資料
史料
- 江差招魂場絵図:江差角力取山招魂場略図。岡山大学池田家文庫
- 「江差招魂社官修墳墓図」[1]
- 「江差招魂社修繕ノ件」[2]
- 「江差招魂社修繕ノ件」[3]
- 「江差招魂社修繕ノ件」[4]
- 「江差招魂社修繕ノ件」[5]
- 古写真[6]
- 古写真[7]
- 古写真[8]
- 古写真[9]
- 「御達留」:「増田伝左エ門文書」『江差町史第3巻』[10]
- 「出登日記」:「増田伝左エ門文書」『江差町史第3巻』[11]
- 「御用日誌」:「増田伝左エ門文書」『江差町史第3巻』[12]
- 「江差招魂場」:『江差町史第3巻』[13]
- 「明治二年諸藩戦死名前書」:『江差町史第3巻』[14]
- 「江差招魂場石碑の配置」:1869年(明治2年)10月。『北海道の歴史と文書』[15]