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京城護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年9月26日 (木)
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*1940『朝鮮総督府施政三十年史』「護国神社の御創立」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1445153/1/406] | *1940『朝鮮総督府施政三十年史』「護国神社の御創立」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1445153/1/406] | ||
*青井哲人2000『神社造営よりみた日本植民地の環境変容に関する研究 : 朝鮮を事例として』「京城護国神社の創建と南山西南麓の改変」[https://dl.ndl.go.jp/pid/3167500/1/139] | *青井哲人2000『神社造営よりみた日本植民地の環境変容に関する研究 : 朝鮮を事例として』「京城護国神社の創建と南山西南麓の改変」[https://dl.ndl.go.jp/pid/3167500/1/139] | ||
| + | *高橋敏1940「護国神社奉賛会寄附金募集に就いて」『京城彙報』226[https://dl.ndl.go.jp/pid/1760711/1/4] | ||
| + | *1940「彙報 護国神社鎮座地の勤労奉仕」『朝鮮』304[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557699/1/56] | ||
| + | *1940「口絵 護国神社地鎮祭挙行」『朝鮮』306[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557701/1/5] | ||
| + | *1941「護国神社造営資金・秋田県」『内地在住半島同胞銃後美談』1[https://dl.ndl.go.jp/pid/1090902/1/46] | ||
| + | *1941「京城護国神社へ愛婦より石灯籠献納」『京城彙報』239[https://dl.ndl.go.jp/pid/1760723/1/24] | ||
| + | *1943「写真京城護国神社鎮座祭」『朝鮮』343[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557738/1/3] | ||
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2024年9月26日 (木) 時点における最新版
京城護国神社(けいじょう・ごこく・じんじゃ)は、日本領朝鮮の京城府(現在のソウル)にあった招魂社。廃絶。 京城神社や朝鮮神宮の南に位置した。羅南護国神社とともに内地の指定護国神社に相当とされたようである。朝鮮の神社。 例祭は4月30日と10月23日[1]。石段が一部現存しているという。
目次 |
祭神
江原道、咸鏡南道、咸鏡北道以外の戦没者を祀ったという。植民地朝鮮に本籍を置くものだけでなく、内地本籍者でも、朝鮮に居住したり、朝鮮近辺で戦死したりしたものは合祀の対象となった。[2]。
歴史
- 1939年(昭和14年)3月15日:内地の指定護国神社制度を発表
- 1939年(昭和14年)4月1日:内地の護国神社制度、施行。
- 1939年4月:護国神社奉賛会設立[3]。京城と羅南に設立を決める。
- 1940年8月15日:整地始まる[4]
- 1940年10月26日:地鎮祭[5]。写真[6]
- 1943年10月20日:京城護国神社創立。[7]
- 1943年11月17日:朝鮮総督府令348号(350?)で「護国神社例祭鎮座祭及合祀祭祭式及祝詞」を制定[8][9]
- 1943年11月26日:鎮座祭[10]。写真[11]
組織
社司
資料
- 1940『朝鮮総督府施政三十年史』「護国神社の御創立」[13]
- 青井哲人2000『神社造営よりみた日本植民地の環境変容に関する研究 : 朝鮮を事例として』「京城護国神社の創建と南山西南麓の改変」[14]
- 高橋敏1940「護国神社奉賛会寄附金募集に就いて」『京城彙報』226[15]
- 1940「彙報 護国神社鎮座地の勤労奉仕」『朝鮮』304[16]
- 1940「口絵 護国神社地鎮祭挙行」『朝鮮』306[17]
- 1941「護国神社造営資金・秋田県」『内地在住半島同胞銃後美談』1[18]
- 1941「京城護国神社へ愛婦より石灯籠献納」『京城彙報』239[19]
- 1943「写真京城護国神社鎮座祭」『朝鮮』343[20]