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世木神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | 度会氏の祖神を祭る神社。度会氏祖神の天牟羅雲命、 | + | 度会氏の祖神を祭る神社。度会氏祖神の天牟羅雲命、[[度会春彦]]などを祀る。 |
宮川の分流の豊川があり、堰があって地名を世木といい、度会神主氏の一族が世木家を称し、祖神の天牟羅雲命を祀ったが、嘉吉年間に絶家となったため、村の氏神として祀られてきた。堰の神で大土御祖神を祀るとも異説もある。明治4年11月2日、村社となる。明治41年、'''度会氏神社'''と'''松木神社'''を合祀し、「世木坐度会氏神社」と改称。大正4年、神饌幣帛料供進神社。のち世木神社と改称した。明治38年11月、[[河原祓所]]の代わりとなる修祓所が設置された。勅使や[[神宮祭主]]が神宮参拝する際にはここで修祓した。 | 宮川の分流の豊川があり、堰があって地名を世木といい、度会神主氏の一族が世木家を称し、祖神の天牟羅雲命を祀ったが、嘉吉年間に絶家となったため、村の氏神として祀られてきた。堰の神で大土御祖神を祀るとも異説もある。明治4年11月2日、村社となる。明治41年、'''度会氏神社'''と'''松木神社'''を合祀し、「世木坐度会氏神社」と改称。大正4年、神饌幣帛料供進神社。のち世木神社と改称した。明治38年11月、[[河原祓所]]の代わりとなる修祓所が設置された。勅使や[[神宮祭主]]が神宮参拝する際にはここで修祓した。 | ||
2013年8月24日 (土) 時点における版
世木神社 せぎ じんじゃ | |
概要 | 度会氏の祖神を祭る神社。祓殿がある。 |
奉斎 | 天牟羅雲命、度会春彦など |
所在地 | 三重県伊勢市吹上1-2-6 |
所在地(旧国郡) | 伊勢国度会郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 村社 |
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目次 |
概要
度会氏の祖神を祭る神社。度会氏祖神の天牟羅雲命、度会春彦などを祀る。 宮川の分流の豊川があり、堰があって地名を世木といい、度会神主氏の一族が世木家を称し、祖神の天牟羅雲命を祀ったが、嘉吉年間に絶家となったため、村の氏神として祀られてきた。堰の神で大土御祖神を祀るとも異説もある。明治4年11月2日、村社となる。明治41年、度会氏神社と松木神社を合祀し、「世木坐度会氏神社」と改称。大正4年、神饌幣帛料供進神社。のち世木神社と改称した。明治38年11月、河原祓所の代わりとなる修祓所が設置された。勅使や神宮祭主が神宮参拝する際にはここで修祓した。
度会氏神社はもと外宮末社。度会氏の祖神天牟羅雲命を祀る。藤里にあった。「宮崎氏神社」「氏神社」と称した。明治5年度会県の所管となり、無格社となる。
松木神社は延長年間、禰宜度会春彦(松木春彦)が自らの生魂を祭ったもの。最古の生祠とも言われる。度会春彦は、菅原道真の生誕祈願を取次、子守をしたと言われる。昌泰の変で大宰府に流された菅原道真に従って下り、道真の最期を看取ったとされる。その末孫の度会氏彦は松木町に移住して、松木家を称し、度会氏の宗家となった。それに伴い、当社も松木神社と称した。寛延3年、松木智彦が敷地拡張し、外宮末社となり、度会氏神社に准ずるようになった。
画像
参考文献
- 『宇治山田市史』