ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
菩薩頂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
1行: | 1行: | ||
- | '''菩薩頂''' | + | '''菩薩頂'''(ぼさつちょう)は、中国山西省の[[五台山]]にある山内最大の[[チベット仏教]]寺院。[[重点寺院]]。'''真容院'''。'''大文殊寺'''。 |
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
- | 五台山台懐鎮の「霊鷲峰」の頂上にある。霊鷲峰の名はインドの[[霊鷲山]]に似ているためという。「真容院」とも呼ばれた。北魏孝文帝の時代に創建されたとされ、宋の太宗が修復し、金字の大蔵経を納めたという。真宗も楼閣を建てた。明代に再建されて「大文殊寺」と称した。清の康煕年間に再建され、チベット仏教に転じた。山門、天王殿、中殿、文殊殿などがある。民国時代まで[[ダライ・ラマ]] | + | 五台山台懐鎮の「霊鷲峰」の頂上にある。霊鷲峰の名はインドの[[霊鷲山]]に似ているためという。「真容院」とも呼ばれた。北魏孝文帝の時代に創建されたとされ、宋の太宗が修復し、金字の大蔵経を納めたという。真宗も楼閣を建てた。明代に再建されて「大文殊寺」と称した。清の康煕年間に再建され、チベット仏教に転じた。山門、天王殿、中殿、文殊殿などがある。民国時代まで[[ダライ・ラマ]]から6年ごとに派遣された高僧'''ジャサク・ラマ'''が住し、全山のチベット仏教僧侶を監督した。「真容院」の名は次の話に由来する。唐の景雲年間(710-711)、法雲という僧侶が、文殊菩薩像を作ろうと職人を募り、安生という者に任せた。安生はすばやく塑像を作ったが、「この目で(本当の姿を)見ないと疑念が晴れない」と言い、香を焚いて祈れば、文殊菩薩が出現。安生は喜んでその姿を移したという。この話が宮中に伝わり、皇帝睿宗は「真容院」の額を下賜したという。後ろには僧侶の墓地がある。 |
[[category:中華人民共和国山西省]] | [[category:中華人民共和国山西省]] |
2016年6月24日 (金) 時点における版
菩薩頂(ぼさつちょう)は、中国山西省の五台山にある山内最大のチベット仏教寺院。重点寺院。真容院。大文殊寺。
歴史
五台山台懐鎮の「霊鷲峰」の頂上にある。霊鷲峰の名はインドの霊鷲山に似ているためという。「真容院」とも呼ばれた。北魏孝文帝の時代に創建されたとされ、宋の太宗が修復し、金字の大蔵経を納めたという。真宗も楼閣を建てた。明代に再建されて「大文殊寺」と称した。清の康煕年間に再建され、チベット仏教に転じた。山門、天王殿、中殿、文殊殿などがある。民国時代までダライ・ラマから6年ごとに派遣された高僧ジャサク・ラマが住し、全山のチベット仏教僧侶を監督した。「真容院」の名は次の話に由来する。唐の景雲年間(710-711)、法雲という僧侶が、文殊菩薩像を作ろうと職人を募り、安生という者に任せた。安生はすばやく塑像を作ったが、「この目で(本当の姿を)見ないと疑念が晴れない」と言い、香を焚いて祈れば、文殊菩薩が出現。安生は喜んでその姿を移したという。この話が宮中に伝わり、皇帝睿宗は「真容院」の額を下賜したという。後ろには僧侶の墓地がある。