ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

円珍旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(?一覧)
1行: 1行:
-
'''円珍'''(えんちん)(814-891)は、[[天台宗]][[寺門派]]の開祖。讃岐出身の[[和気氏]]。[[空海]]の姪の子。[[義真]]に師事し、入唐。'''智証大師'''('''智證大師''')。 忌日法要を、'''御正忌会'''(おしょうきえ)という。
+
'''円珍'''(えんちん)(814-891)は、[[天台宗]][[寺門派]]の開祖。[[延暦寺]]座主5世。[[園城寺]]を再興。讃岐出身の[[和気氏]]。[[空海]]の姪の子。[[義真]]に師事し、入唐。天台[[密教]]を確立。'''智証大師'''('''智證大師''')。 忌日法要を、'''御正忌会'''(おしょうきえ)という。
 +
==略歴==
== 一覧 ==
== 一覧 ==
===日本===
===日本===
*[[讃岐・金倉寺]]:香川県善通寺市にある円珍の生誕地旧跡の[[天台宗]]寺院。[[天台寺門宗]]別格本山?。[[四国八十八所霊場]]第76番札所。
*[[讃岐・金倉寺]]:香川県善通寺市にある円珍の生誕地旧跡の[[天台宗]]寺院。[[天台寺門宗]]別格本山?。[[四国八十八所霊場]]第76番札所。
*[[比叡山]]:天台宗の総本山。
*[[比叡山]]:天台宗の総本山。
-
*[[園城寺]]:のち円珍の弟子筋が拠点とする天台宗の本山寺院。
+
*[[園城寺]]:のち円珍の弟子筋が拠点とする天台宗の本山寺院。帰国後の貞観元年(859)、円珍が入る。
===中国===
===中国===
-
*[[福州・開元寺]]
+
*[[福州・開元寺]]:仁寿3年(853)8月、福州に到着して最初に滞在した寺院。
-
*[[長安・龍興寺]]
+
*[[天台山]]
*[[天台山]]
-
**[[国清寺]]
+
**[[国清寺]]:仁寿3年12月13日に到着。物外に学ぶ。日本の円載に出会う。
-
*[[青龍寺]]
+
*[[長安]]
 +
**[[青龍寺]]:大中9年(855)5月に長安に入り、青龍寺の法全に密教を学ぶ。翌年6月には天台山に戻る。
 +
**[[長安・龍興寺]]
 +
==著作==
 +
 +
==年表==
 +
*927年:[[醍醐天皇]]が智証大師号を贈る。
[[category:人物旧跡]]
[[category:人物旧跡]]

2016年12月8日 (木) 時点における版

円珍(えんちん)(814-891)は、天台宗寺門派の開祖。延暦寺座主5世。園城寺を再興。讃岐出身の和気氏空海の姪の子。義真に師事し、入唐。天台密教を確立。智証大師智證大師)。 忌日法要を、御正忌会(おしょうきえ)という。

目次

略歴

一覧

日本

中国

  • 福州・開元寺:仁寿3年(853)8月、福州に到着して最初に滞在した寺院。
  • 天台山
    • 国清寺:仁寿3年12月13日に到着。物外に学ぶ。日本の円載に出会う。
  • 長安
    • 青龍寺:大中9年(855)5月に長安に入り、青龍寺の法全に密教を学ぶ。翌年6月には天台山に戻る。
    • 長安・龍興寺

著作

年表

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%86%86%E7%8F%8D%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール