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長安
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年7月16日 (火)
目次 |
概要
道教および中国仏教の華厳宗、法相宗、浄土教、律宗の発祥の地である。 長安・開元寺
洛陽と並ぶ古都
漢代
唐代
太極宮
皇城
大明宮
禁苑にある大明宮は皇城の東北に隣接して設置された離宮。634年起工、高宗の龍朔3年(662)には政務をここで行ったことがある。天宝14年(755)の安禄山の乱以降、政務の中心となった。
東街
(一条)
(二条)
- (来庭坊)高延福寺
- (大寧坊)太清宮 唐の道教の中心的道観。
- (大寧坊)興唐寺 華麗な伽藍が名物となっていた。神秀弟子の普寂が住した。
- (興寧坊)清禅寺 実叉難陀が『文殊授記経』を訳した。法蔵が『般若波羅蜜多心経略疏』を著した。智儼は晩年に住し、ここで死去。義湘が学んだ。清浄寺。
- (興寧坊)華封観
(三条)
- (永興坊)荷恩寺
(四条)
(五条)
(六条)
(七条)
(八条)
(九条)
- (靖善坊)大興善寺 長安最大の大寺院。善無畏や金剛智も滞在。不空が住して以来、密教の中心寺院だった。日本の円仁、円珍も修行。
- (靖安坊)栄政寺
- (永崇坊)七太子廟
- (永崇坊)霊応観
- (永崇坊)宗道観
- (昇平坊)楽遊廟
- (昇道坊)龍華寺
(十条)
- (昭国坊)崇済寺
(十一条)
(十二条)
(十三条)
西街
(一条)
(二条)
- (輔興坊)金仙観 玄宗皇帝妹の金仙公主がいた。
- (輔興坊)玉真観(玉貞観) 玄宗皇帝妹の玉真公主がいた。
- (休祥坊/林祥坊)崇福寺 「太原寺」「魏国寺」「魏国西寺」「西崇福寺」ともいう(「西」の名は洛陽の同名寺院に対する呼称)。法蔵が住した。
- (休祥坊/林祥坊)万善寺
- (休祥坊/林祥坊)昭成寺
- (普寧坊)霊化寺
- (普寧坊)東明観 高宗と則天武后が章懐太子の病気平癒を祈願して西明寺と同時に創建。
- (普寧坊)ケン祠
(三条)
- (頒政坊)証空寺
- (頒政坊)龍興寺 両京諸国に置かれた龍興寺(初名は中興寺)の一つ。元は貞観5年(631)に承乾太子が創建した普光寺といい、改称した。円珍旧跡。
- (頒政坊)昭成観
- (頒政坊)崇明観
- (頒政坊)建法寺
- (金城坊)開善寺
- (金城坊)太清観
- (義寧坊)大秦寺:景教の聖堂。「大秦景教流行中国碑」はここにあったとも言われる。
- (義寧坊)化度寺:不空が五台山に模して文殊を祀る。
- (義寧坊)積善寺
(四条)
- (布政坊)波若寺
- (布政坊)明覚寺
- (布政坊)法海寺
- (布政坊)済法寺
- (布政坊)胡ケン祠
- (布政坊)福祥観
- (醴泉坊・礼泉坊)醴泉寺
- (醴泉坊・礼泉坊)ケン祠
- (醴泉坊・礼泉坊)三洞観
- (醴泉坊・礼泉坊)妙勝寺
- (居徳坊)奉恩寺(奉思寺)
- (居徳坊)宝国寺(光天寺、先天寺) 長安県の県寺だった。
(五条)
(六条)
- (通化坊)浄影寺 慧遠ゆかりの寺院
- (通義坊)興聖寺:高祖の旧邸を寄進
- (光徳坊)慈悲寺:唐代高祖が民を飢饉から救った曇献のために創建
- (光徳坊)勝光寺(勝先寺?)
- (懐徳坊)慧日寺:慧日道場
- (懐徳坊)羅漢寺
- (懐徳坊)弁才寺
(七条)
- (豊楽坊)開業寺
- (興化坊)空観寺
- (延康坊)浄法寺(静法寺)
- (延康坊)西明寺 高宗と則天武后が章懐太子の病気平癒を祈願して東明観と同時に創建。玄奘や空海の旧跡。祇園精舎を模したという。
- (懐遠坊)大雲経寺 日本の国分寺の直接のモデルになったという諸州大雲経寺の一つ。
- (崇化坊)龍興観:全国に置かれた龍興観の一つ。
- (崇化坊)浄楽寺
(八条)
- (安業坊)唐昌観
- (安業坊)済度寺
- (崇徳坊)証果寺:高祖が創建した尼寺
- (崇徳坊)崇聖寺
- (崇賢坊)崇業寺
- (崇賢坊)海覚寺
- (崇賢坊)大覚寺 玄奘旧跡。
- (長寿坊)大法寺
- (長寿坊)永太寺(永泰寺)
- (豊邑坊)清虚観
(九条)
(十条)
(十一条)
(十二条)
(十三条)
城外
南郊
- 天壇
- 百神
- 赤帝
- 黄帝
北郊
- 地壇
- 黒帝
- 神州
東郊
- 日壇
- 青帝
- 先農壇
- 九宮貴神
西郊
- 月壇
- 白帝
その他
郊外
- 興教寺:陝西省西安市長安区少陵原。玄奘墓
- 香積寺:陝西省西安市長安区。善導旧跡。
- 華厳寺:陝西省西安市長安区。澄観や杜順の旧跡。
- 玉華宮
- 玉華寺:玄奘が晩年に使用した訳経所。
- 真寂寺:三階教の寺院か。化度寺?
不詳
参考文献
- 土屋昌明2002『神仙幻想』春秋社
- 小野勝年『中国隋唐長安・寺院史料集成』