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長安・崇福寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''崇福寺'''(すうふくじ)は、唐の都[[長安]]休祥坊(林祥坊)にあった[[仏教]]寺院。 「'''太原寺'''」「'''魏国寺'''」「'''魏国西寺'''」「'''西崇福寺'''」ともいう(「西」の名は[[洛陽]]の同名寺院に対する呼称)。[[法蔵]]が住した。また[[般若]] | + | '''崇福寺'''(すうふくじ)は、唐の都[[長安]]休祥坊(林祥坊)にあった[[仏教]]寺院。 「'''太原寺'''」「'''魏国寺'''」「'''魏国西寺'''」「'''西崇福寺'''」ともいう(「西」の名は[[洛陽]]の同名寺院に対する呼称)。[[法蔵]]が住した。また[[般若]]が勅命で『華厳経』40巻(四十華厳)をここで翻訳した。太原の名は、唐高祖が太原(山西省)で蜂起したことを記念したことに拠る。 |
2016年12月10日 (土) 時点における版
崇福寺(すうふくじ)は、唐の都長安休祥坊(林祥坊)にあった仏教寺院。 「太原寺」「魏国寺」「魏国西寺」「西崇福寺」ともいう(「西」の名は洛陽の同名寺院に対する呼称)。法蔵が住した。また般若が勅命で『華厳経』40巻(四十華厳)をここで翻訳した。太原の名は、唐高祖が太原(山西省)で蜂起したことを記念したことに拠る。