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桑名・願証寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年4月23日 (日)
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- | '''願証寺'''(がんしょうじ)は、伊勢国桑名(三重県桑名市伝馬町)にあった、[[浄土真宗]]寺院。[[願証寺関連旧跡]]。天正2年(1574)の長島[[一向一揆]]が敗北し、[[長島願証寺]]は廃絶となった。その後、天正14年頃、住職顕忍の子の准恵が豊臣家から寺地を得て桑名に再興したと伝わる。[[名古屋・願証寺]]や[[ | + | '''願証寺'''(がんしょうじ)は、伊勢国桑名(三重県桑名市伝馬町)にあった、[[浄土真宗]]寺院。[[願証寺関連旧跡]]。天正2年(1574)の長島[[一向一揆]]が敗北し、[[長島願証寺]]は廃絶となった。その後、天正14年頃、住職顕忍の子の准恵が豊臣家から寺地を得て桑名に再興したと伝わる。[[名古屋・願証寺]]や[[又木・願証寺]]など、再興されたゆかりの寺院をも支配する重要な寺院になったが、正徳5年(1715)、[[西本願寺]]末から高田[[専修寺]]末に転派を図った騒動で衰退。のち廃絶。伝馬公園が跡地。 |
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2017年4月23日 (日) 時点における最新版
願証寺(がんしょうじ)は、伊勢国桑名(三重県桑名市伝馬町)にあった、浄土真宗寺院。願証寺関連旧跡。天正2年(1574)の長島一向一揆が敗北し、長島願証寺は廃絶となった。その後、天正14年頃、住職顕忍の子の准恵が豊臣家から寺地を得て桑名に再興したと伝わる。名古屋・願証寺や又木・願証寺など、再興されたゆかりの寺院をも支配する重要な寺院になったが、正徳5年(1715)、西本願寺末から高田専修寺末に転派を図った騒動で衰退。のち廃絶。伝馬公園が跡地。