ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
天山陵
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年10月30日 (火)
(版間での差分)
(ページの作成:「'''天山陵'''(てぃんさん・りょう)は、沖縄県那覇市首里にある、第一尚氏歴代国王および第二尚氏王族の陵墓。尚巴志王陵墓...」) |
|||
1行: | 1行: | ||
- | '''天山陵''' | + | '''天山陵'''(てぃんさん・りょう)は、沖縄県那覇市首里にある、第一尚氏歴代国王および第二尚氏王族の陵墓。尚巴志王陵。'''天山陵'''・'''天山ようどれ'''・'''天山御墓'''ともいう。[[首里城]]の400メートル南にある。[[琉球王朝の国家祭祀]]。 |
+ | |||
+ | == 歴史 == | ||
+ | 尚巴志王が1439年に崩御して葬られたのに始まる。第二尚氏においても王族の陵墓として用いられた。1983年に沖縄県教育委員会によって東室の羨道・奥室の発掘調査が行われている。東室・西室・中室の三つの墓室があったと言われているが、沖縄戦で壊滅して、墓室の残骸が現存しているのみである。(安里進「琉球王国の陵墓制」) | ||
[[Category:沖縄県]] | [[Category:沖縄県]] |
2018年10月30日 (火) 時点における最新版
天山陵(てぃんさん・りょう)は、沖縄県那覇市首里にある、第一尚氏歴代国王および第二尚氏王族の陵墓。尚巴志王陵。天山陵・天山ようどれ・天山御墓ともいう。首里城の400メートル南にある。琉球王朝の国家祭祀。
歴史
尚巴志王が1439年に崩御して葬られたのに始まる。第二尚氏においても王族の陵墓として用いられた。1983年に沖縄県教育委員会によって東室の羨道・奥室の発掘調査が行われている。東室・西室・中室の三つの墓室があったと言われているが、沖縄戦で壊滅して、墓室の残骸が現存しているのみである。(安里進「琉球王国の陵墓制」)