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東明観
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年6月1日 (土)
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- | + | 顕慶元年(656)創建。長安で最も壁画と彫刻が見事だったという。馮黄庭や、『老子』『荘子』の注釈書を記すとともに、仏教批判を行った学者道士として知られた李栄の碑があった。また則天武后と[[玄宗]]に仕え、道教経典収集事業に携わった孫文儁(そんぶんけい)がいた。(土屋昌明、2002『神仙幻想』春秋社) 。 | |
2019年6月1日 (土) 時点における最新版
東明観(とうみょうかん)は、唐代長安普寧坊にあった道観。高宗と則天武后が章懐太子の病気平癒を祈願して長安・西明寺と同時に創建。
歴史
顕慶元年(656)創建。長安で最も壁画と彫刻が見事だったという。馮黄庭や、『老子』『荘子』の注釈書を記すとともに、仏教批判を行った学者道士として知られた李栄の碑があった。また則天武后と玄宗に仕え、道教経典収集事業に携わった孫文儁(そんぶんけい)がいた。(土屋昌明、2002『神仙幻想』春秋社) 。