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神光霊社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''神光霊社'''は京都吉田の[[吉田・神光院|神光院]]にあった吉田兼熙(1348-1402)の[[霊社]]。 | '''神光霊社'''は京都吉田の[[吉田・神光院|神光院]]にあった吉田兼熙(1348-1402)の[[霊社]]。 | ||
- | 兼熙(兼凞)は[[吉田家]]6代とされ、神光院、神光霊神、神光明神と呼ばれる。歴代当主で明神号を持つのは[[吉田兼倶]] | + | 兼熙(兼凞)は[[吉田家]]6代とされ、神光院、神光霊神、神光明神と呼ばれる。歴代当主で明神号を持つのは[[吉田兼倶]](1435-1511)の「神龍大明神」の他は兼煕だけである。霊社の創建は兼倶の時代以降と考えられている。1779年の時点では存続しており、霊社の下に遺骸を収めると伝えられていたが、死後直後の史料によると、蓮台野に埋葬されており、不確実とされる。その後の消息は不詳。(『神葬祭大辞典』) |
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2019年7月2日 (火) 時点における版
神光霊社は京都吉田の神光院にあった吉田兼熙(1348-1402)の霊社。 兼熙(兼凞)は吉田家6代とされ、神光院、神光霊神、神光明神と呼ばれる。歴代当主で明神号を持つのは吉田兼倶(1435-1511)の「神龍大明神」の他は兼煕だけである。霊社の創建は兼倶の時代以降と考えられている。1779年の時点では存続しており、霊社の下に遺骸を収めると伝えられていたが、死後直後の史料によると、蓮台野に埋葬されており、不確実とされる。その後の消息は不詳。(『神葬祭大辞典』)