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法伝寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年8月19日 (月)
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- | '''法伝寺''' | + | '''法伝寺'''(ほうでんじ)は、京都府京都市伏見区鳥羽中三町にある[[浄土宗]]寺院。本尊は[[薬師如来]]か。鳥羽伏見の戦いの戦跡とされる。[[浄土宗知恩院派]]。薬師院。山号は瑞華山。 |
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- | 726年(神亀3年)[[聖武天皇]]の勅願で[[行基]] | + | 726年(神亀3年)[[聖武天皇]]の勅願で[[行基]]が創建したと伝え、薬師如来を祭り、'''法田寺'''と称したという。薬師如来はのちに[[鳥羽離宮]]に祀られて法伝寺に伝わったともいう。 |
「木魚念仏最初の地」というが不詳。元は[[真言宗]]だったが[[知恩院]]11世の円智(?-1357)が浄土宗に改宗した。 | 「木魚念仏最初の地」というが不詳。元は[[真言宗]]だったが[[知恩院]]11世の円智(?-1357)が浄土宗に改宗した。 | ||
1729年(享保14年)[[捨世派]]の不退円説が住して日課念仏を行った。 | 1729年(享保14年)[[捨世派]]の不退円説が住して日課念仏を行った。 | ||
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1897年(明治30年)に「戊辰東軍戦死之碑」が建立された。 | 1897年(明治30年)に「戊辰東軍戦死之碑」が建立された。 | ||
- | + | 近くの[[悲願寺]]にあった戊辰戦争戦没者の石碑も移設されている。 | |
- | + | (現地解説版、『日本歴史地名大系』ほか) | |
2019年8月19日 (月) 時点における最新版
法伝寺(ほうでんじ)は、京都府京都市伏見区鳥羽中三町にある浄土宗寺院。本尊は薬師如来か。鳥羽伏見の戦いの戦跡とされる。浄土宗知恩院派。薬師院。山号は瑞華山。
歴史
726年(神亀3年)聖武天皇の勅願で行基が創建したと伝え、薬師如来を祭り、法田寺と称したという。薬師如来はのちに鳥羽離宮に祀られて法伝寺に伝わったともいう。 「木魚念仏最初の地」というが不詳。元は真言宗だったが知恩院11世の円智(?-1357)が浄土宗に改宗した。 1729年(享保14年)捨世派の不退円説が住して日課念仏を行った。 戊辰戦争の旧幕府軍の弔いや負傷者の手当てを行ったという。 1897年(明治30年)に「戊辰東軍戦死之碑」が建立された。
近くの悲願寺にあった戊辰戦争戦没者の石碑も移設されている。 (現地解説版、『日本歴史地名大系』ほか)