ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
拝上帝会
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月21日 (月)
(版間での差分)
(間の2版分が非表示) | |||
1行: | 1行: | ||
- | '''拝上帝会'''は中国で起こった[[キリスト教]]系教団。太平天国という国家を建てた。洪秀全(1814-1864)は[[ヤハウェ]]を天父・上帝とし、[[イエス]] | + | '''拝上帝会'''は中国で起こった[[キリスト教]]系教団。太平天国という国家を建てた。洪秀全(1814-1864)は[[ヤハウェ]]を天父・上帝とし、[[イエス]]を天兄と呼び、自らを天弟としてイエスの弟と名乗った。清朝を支える[[儒教]]思想を排撃、弾圧した。'''上帝教'''。'''上帝会'''。 |
==歴史== | ==歴史== | ||
*1814年1月:官禄〓村で、洪秀全誕生。 | *1814年1月:官禄〓村で、洪秀全誕生。 | ||
- | * | + | *1833年:科挙落第。この時、中国人初の[[プロテスタント]]宣教師梁阿発の布教書『勧世良言』を入手。しかし気に留めなかった。 |
*1837年3月:3度目の科挙に落第。熱病にかかる。この間、老人の夢を見る。 | *1837年3月:3度目の科挙に落第。熱病にかかる。この間、老人の夢を見る。 | ||
*1843年:4度目の科挙に失敗。李敬芳に勧められ『勧世良言』を読み、かつての夢との符合を悟る。 | *1843年:4度目の科挙に失敗。李敬芳に勧められ『勧世良言』を読み、かつての夢との符合を悟る。 | ||
- | * | + | *1843年7月:拝上帝会を創始 |
- | * | + | *1847年3月:[[広州]]でアメリカ人宣教師ロバーツのもとで学ぶ。しかし洗礼を受けることは拒否された。 |
- | * | + | *1847年8月:広西桂平県紫荊山で2000人の信者を獲得していた馮雲山と再会。 |
- | * | + | *1847年10月:広西桂平県で神殿神像破壊運動を始める。象州三江口の甘王廟、ついで紫荊山蒙冲の三聖宮を打ち壊した。 |
+ | *1847年:馮雲山が投獄される。 | ||
+ | *1848年4月:投獄で動揺が走る中、楊秀清が天父下凡の降霊儀礼。ヤハウェは洪秀全こそ「天下万国の真の主」と託宣した。 | ||
+ | *1848年10月24日:鵬隘山で蕭朝貴が天兄下凡の降霊儀礼を行う。 | ||
*1850年7月:全会員に金田に集まるように密かに命じる。 | *1850年7月:全会員に金田に集まるように密かに命じる。 | ||
- | * | + | *1851年1月11日:金田蜂起。天王を称して、太平天国の建国を宣言。のちこの年を太平天国元年とした。 |
*1851年9月25日:永安州城を陥落。10月1日、洪秀全入城。 | *1851年9月25日:永安州城を陥落。10月1日、洪秀全入城。 | ||
*1851年12月17日:五王制度の詔。 | *1851年12月17日:五王制度の詔。 | ||
*1851年12月21日:周錫能事件。楊秀清に天父下凡(託宣)があり、内通者を暴いて処刑した。 | *1851年12月21日:周錫能事件。楊秀清に天父下凡(託宣)があり、内通者を暴いて処刑した。 | ||
*1852年4月4日:永安州脱出の詔 | *1852年4月4日:永安州脱出の詔 | ||
- | * | + | *1852年6月10日:馮雲山戦死。 |
+ | *1852年:蕭朝貴戦死。 | ||
+ | *1853年1月:清朝の曽国藩、湘軍を組織。 | ||
+ | *1853年3月:[[南京]]占領。3月29日、洪秀全入城。南京を首都として天京と改称した。年内に『欽定旧遺詔聖書』『欽定新遺詔聖書』を刊行。 | ||
*1854年:北伐軍敗退 | *1854年:北伐軍敗退 | ||
- | * | + | *1854年:対儒教政策を緩和 |
- | * | + | *1856年9月2日:天京事変。内乱で楊秀清を粛正。 |
- | * | + | *1864年6月1日:洪秀全、崩御。 |
*1864年7月:天京陥落。 | *1864年7月:天京陥落。 | ||
- | * | + | *1864年8月8日:李秀成処刑 |
+ | *1864年11月18日:幼天王の洪天貴福、南昌で処刑 | ||
+ | *1868年8月:残党も鎮圧される。 | ||
+ | *1930年7月24日:国民党中央本部、太平天国について「粤賊」との表記を禁じる。 | ||
==一覧== | ==一覧== | ||
37行: | 46行: | ||
*金華 | *金華 | ||
**侍王府:壁画が残る。礼拝堂はない? | **侍王府:壁画が残る。礼拝堂はない? | ||
- | *上海 | + | *[[上海]] |
**[[太平天国烈士墓]] | **[[太平天国烈士墓]] | ||
- | *武漢 | + | *[[武漢]] |
**[[九女墩]] | **[[九女墩]] | ||
*千人塚:湖北省黄石市陽新県。半壁山 | *千人塚:湖北省黄石市陽新県。半壁山 |
2023年8月21日 (月) 時点における最新版
拝上帝会は中国で起こったキリスト教系教団。太平天国という国家を建てた。洪秀全(1814-1864)はヤハウェを天父・上帝とし、イエスを天兄と呼び、自らを天弟としてイエスの弟と名乗った。清朝を支える儒教思想を排撃、弾圧した。上帝教。上帝会。
歴史
- 1814年1月:官禄〓村で、洪秀全誕生。
- 1833年:科挙落第。この時、中国人初のプロテスタント宣教師梁阿発の布教書『勧世良言』を入手。しかし気に留めなかった。
- 1837年3月:3度目の科挙に落第。熱病にかかる。この間、老人の夢を見る。
- 1843年:4度目の科挙に失敗。李敬芳に勧められ『勧世良言』を読み、かつての夢との符合を悟る。
- 1843年7月:拝上帝会を創始
- 1847年3月:広州でアメリカ人宣教師ロバーツのもとで学ぶ。しかし洗礼を受けることは拒否された。
- 1847年8月:広西桂平県紫荊山で2000人の信者を獲得していた馮雲山と再会。
- 1847年10月:広西桂平県で神殿神像破壊運動を始める。象州三江口の甘王廟、ついで紫荊山蒙冲の三聖宮を打ち壊した。
- 1847年:馮雲山が投獄される。
- 1848年4月:投獄で動揺が走る中、楊秀清が天父下凡の降霊儀礼。ヤハウェは洪秀全こそ「天下万国の真の主」と託宣した。
- 1848年10月24日:鵬隘山で蕭朝貴が天兄下凡の降霊儀礼を行う。
- 1850年7月:全会員に金田に集まるように密かに命じる。
- 1851年1月11日:金田蜂起。天王を称して、太平天国の建国を宣言。のちこの年を太平天国元年とした。
- 1851年9月25日:永安州城を陥落。10月1日、洪秀全入城。
- 1851年12月17日:五王制度の詔。
- 1851年12月21日:周錫能事件。楊秀清に天父下凡(託宣)があり、内通者を暴いて処刑した。
- 1852年4月4日:永安州脱出の詔
- 1852年6月10日:馮雲山戦死。
- 1852年:蕭朝貴戦死。
- 1853年1月:清朝の曽国藩、湘軍を組織。
- 1853年3月:南京占領。3月29日、洪秀全入城。南京を首都として天京と改称した。年内に『欽定旧遺詔聖書』『欽定新遺詔聖書』を刊行。
- 1854年:北伐軍敗退
- 1854年:対儒教政策を緩和
- 1856年9月2日:天京事変。内乱で楊秀清を粛正。
- 1864年6月1日:洪秀全、崩御。
- 1864年7月:天京陥落。
- 1864年8月8日:李秀成処刑
- 1864年11月18日:幼天王の洪天貴福、南昌で処刑
- 1868年8月:残党も鎮圧される。
- 1930年7月24日:国民党中央本部、太平天国について「粤賊」との表記を禁じる。
一覧
- 天王府:南京を占領して首都とし、天京と名付けた。天王の宮殿である天龍殿の奥に、イエスを祀る天兄殿、さらに奥にヤハウェを祀る天父殿があった。
- 曽水源墓:南京
- 永安:最初の拠点
- 蘇州
- 忠王府:現存する数少ない太平天国の遺構。礼拝堂も付属。
- 護王府:江蘇省常州市天寧区。礼拝堂はない?
- 金華
- 侍王府:壁画が残る。礼拝堂はない?
- 上海
- 武漢
- 千人塚:湖北省黄石市陽新県。半壁山
- 洪㳂三墓:洪秀全の祖先の墓。
- 洪全福墓:香港墓地にある。
- 南京・曽公祠:太平天国と戦った清朝の曽国荃を祀る霊廟