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- | [[File:萩明倫館・聖廟・海潮寺-01.jpg|萩明倫館聖廟の遺構(海潮寺本堂)|500px|thumb]] | + | [[儒教]]創始者の[[孔子]]を祀る[[祠廟]]。[[日本の孔子廟]]も参照。 |
- | [[File:萩明倫館・聖廟・模型・明倫センター_(1).jpg|萩明倫館模型(萩明倫学舎展示)|500px|thumb]] | + | ==歴史== |
- | [[File:萩明倫館・聖廟・位牌模型・明倫センター_(1).jpg|萩明倫館聖廟の神主(位牌)の模型(萩明倫学舎展示)|500px|thumb]] | + | *前479年4月11日:孔子死去。74歳。 |
- | 孔子を祀る霊廟。
| + | *前136年:漢、儒教を国教とする |
- | | + | *624年2月:唐の高祖、初めて釈奠を行う |
- | | + | *701年2月:日本で初めて釈奠を行ったという。 |
| + | *739年8月:唐の玄宗、「文宣王」を追贈(旧唐書)。 |
| + | *1008年:宋の真宗、「玄聖文宣王」と追贈。『荘子』「天下篇」にある「玄聖素王」という文言から取った。 |
| + | *1012年:宋の真宗、「至聖文宣王」と改称。新たに考案された皇祖の「玄朗」を避けるため。 |
| + | *1307年:元の武宗、「大成至聖文宣王」と追贈 |
| + | *1530年:明代、王号を取り除き、「至聖先師」と改称。 |
| + | *1645年:清代、「大成至聖文宣先師孔子」と改称。 |
| + | *1657年:清代、「至聖先師孔子」と改称。 |
| + | *1684年:清の康煕帝、曲阜孔子廟に「万世師表」の宸筆扁額を下賜。 |
| + | *乾隆帝:在位中、8回も曲阜に行幸 |
| + | *1935年:中華民国政府、「大成至聖先師」と改称 |
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| ==孔子旧跡== | | ==孔子旧跡== |
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| ==中国== | | ==中国== |
| *[[夫子廟]] | | *[[夫子廟]] |
- | *[[]]
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- | *[[]]
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- | *[[]]
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- | *[[]]
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- | *[[]]
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- | *[[]]
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| *[[台南孔子廟]] | | *[[台南孔子廟]] |
| ==朝鮮== | | ==朝鮮== |
| *[[成均館文廟]] | | *[[成均館文廟]] |
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- | ==日本==
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- | ===古代===
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- | *[[王仁の聖堂]]:大阪府松原市岡。[[王仁]]が創建した孔子廟。跡地に出岡弁財天がある。
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- | *[[藤原京大学寮]]:671年に大学寮の前身とみられるものがあったとみられ(日本書紀)、一説には689年公布の飛鳥浄見原令で大学寮と改称されたという。続日本紀に701年2月に初めて釈奠が行われたとあり、この頃には孔子廟が成立していたとみられる。また大宝律令学令にも大学と全国の国学で釈奠を行うように定めた。
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- | *[[平城京大学寮]]:735年に吉備真備が帰国して釈奠の祭式を整備。767年には日本特有の釈奠講学式というものが実行されている。
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- | *[[平安京大学寮]]:927年の延喜式に孔子廟に関する具体的な記述が初めて登場。釈奠の式次第も詳しい。1119年、廟堂院は雨漏りしていたが修理されなかった。1122年に破損。1177年、大学寮焼失して廃絶したが、釈奠のみは存続し、15世紀まで続いたという。
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- | *国学
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- | *大宰府学校院
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- | ===中世===
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- | *[[足利学校]]聖堂:
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- | *[[肥後・孔子廟]]:熊本県菊池市隈府。1472年、菊池重朝が創建。廃絶。
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- | ===近世===
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- | *[[藩校]]も参照。
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- | *[[湯島聖堂]]:東京都文京区湯島。昌平坂学問所。
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- | *名古屋先聖堂:
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- | *[[日新館]]:福島県会津若松市。大成殿、諏訪神社があった。神道方が置かれたのは特色。天文台が現存。別の地に文化施設として再現されている。
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- | *礼譲館聖廟:京都府宮津市。廃絶。
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- | *養正館孔子廟:愛媛県西条市小松町新屋敷。常盤神社内に遷座。
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- | *岩村知新館
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- | *[[閑谷学校]]聖堂:
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- | *[[長崎孔子廟]]:
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- | *[[鬼丸聖堂]]:佐賀県佐賀市鬼丸町。廃絶。
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- | *[[大財聖堂]]:佐賀県佐賀市大財。廃絶。
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- | *[[白木聖廟]]:佐賀県杵島郡江北町山口白木。東原庠舎にあった孔子像を祀る。
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- | *[[仙台藩養賢堂]]・聖廟:宮城県仙台市青葉区本町。現在の勾当台公園。仙台藩の藩校。1736年(元文1年)、学問所を三番町に開設。明倫館養賢堂と称した。宝暦年間、一番町に移転。1759年(宝暦9年)養賢堂と改称。1777年(安永6年)聖像を奉斎する。1808年(文化5年)改築計画が始まり、大槻清準の立案で周代明堂の制度に基づく整備を実施。1817年(文化14年)講堂が竣工。1819年(文政2年)に聖廟を建立。左廟右講の配置だった。明治維新後は仙台県庁舎(宮城県庁舎)となった。1945年(昭和20年)遺構は仙台大空襲で焼失。正門が泰心院に現存。
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- | *[[庄内藩致道館]]・聖廟:山形県鶴岡市馬場町。庄内藩の藩校。遺構が現存する。1805年(文化2年)2月、当初は大宝寺内(鶴岡市山王町)に開校した。同月30日が釈奠が行われた。聖廟、講堂、神庫などが完備していた。絵像聖像(現存)は海老島村の藩医の邸内神農堂の絵像を、1804年(文化1年)9月、神庫の落成と共に納められた。顔淵絵像は1801年(享和1年)5月15日に谷文晁が湯島聖堂より写したものという。1815年(文化12年)、致道館の城内移転が決定。1816年(文化13年)1月29日、旧校舎にて告遷祭を斎行。9月27日、先聖(孔子)先師(顔淵)の神輿が150人の行列で西御門から講堂に入り、釈奠が行われた。2月、城内に移転した。1817年(文化14年)8月に完成した。朱子学ではなく荻生徂徠の学風を伝えた。1873年(明治6年)6月に廃校。1875年(明治8年)8月、致道館は鶴岡県庁舎となり、県令三島通庸が旧聖廟を鶴岡神社とし、天神地祇と出羽三山の神霊を合祀した。1876年(明治9年)8月に鶴岡県廃止とともに庁舎と神社は廃止。1878年(明治11年)8月、聖廟と廟門は下山添八幡神社の拝殿・神門として移築された。1907年(明治40年)御居間・講堂を残して解体された。致道館跡は1951年(昭和26年)国史跡に指定。1965年(昭和40年)から致道館跡の復元計画が始まり、1969年(昭和44年)に旧聖廟が下山添八幡神社から致道館跡に戻された。現在、釈奠を2月と8月に実施。旧地に「聖廟旧趾碑」が建つ。(『致道館記』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E8%87%B4%E9%81%93%E9%A4%A8%E8%A8%98/SQV44QGaEZMC?gbpv=1])
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- | *[[米沢藩興譲館]]・先聖殿:山形県米沢市中央。米沢藩の藩校。聖堂が移転改築されて現存。儒医矢尾板三印が邸内に祀った聖堂が起源。1697年(元禄10年)、藩主上杉綱憲がこれを接収して藩費で聖堂を建て学問所を整備し、藩士金沢彦六に彫らせた孔子像を納めて感麟殿と称した。のち1776年(安永5年)に藩主上杉鷹山が藩校興譲館を設置し、感麟殿の孔子像を継承して聖堂に祀った。1785年(天明5年)に「先聖殿」の扁額を下した。1864年(元治1年)の火災で焼失。門東町の武芸所に移転し、聖堂などを再建した。1888年(明治21年)、この聖堂は北堀端の米沢中学校に移築されたがこの時、4分の1の大きさに縮小改築された。1911年(明治44年)御守町の財団法人米沢図書館に移築。1938年(昭和13年)関東町の米沢興譲館中学に移転。1944年(昭和19年)頃、法泉寺庭園に遷座され、興譲館先聖殿として現存している。
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- | *[[弘道館]]孔子廟:茨城県水戸市。1841年(天保12年)建立。最大規模の藩校。正門、正庁、至善堂など現。戦災で焼失した孔子廟や鎮守の水戸・鹿島神社が再建されている。
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- | *延方学校:茨城県潮来市須賀。県立潮来高等学校のそば。水戸藩の郷校。文化初年、井村松亭が金沢藩士沢田平格を招いて開校。1807年(文化4年)、内田山上に聖廟を建立。1820年(文政3年)(1810年(文化7年)とも)、聖堂を新たに建設した。徳川治紀下賜の「至聖文宣王」軸を祀り、1817年(文化14年)には代わって徳川斉脩筆の「至聖先師孔子神位」の木牌を奉安した。1872年(明治5年)廃校。1878年(明治11年)、聖廟は潮来市辻の二十三夜尊堂(月読神社とも)として移築され現存する。当初の旧堂も恵雲寺の七面堂として現存する。
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- | *上田藩明倫堂:1820年(文政3年)建立。
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- | *高遠藩進徳館:1860年(万延1年)建立。
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- | [[*名古屋藩明倫堂]]聖廟:愛知県名古屋市。1824年(文政7年)移築。廃絶。旧聖堂が岐阜県羽島市の永照寺に現存。
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- | *彦根藩稽古館:
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- | *鳥取藩尚徳館聖廟:鳥取県鳥取市尚徳。1852年(嘉永5年)建立。廃絶。
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- | *岡山藩学校:1669年(寛文9年)建立。
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- | *福山藩誠之館:
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- | *津和野藩養老館
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- | *[[萩明倫館]]聖廟:山口県萩市。廃絶。
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- | *高知藩致道館:
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- | *[[多久聖廟]]:佐賀県多久市多久町。東原庠舎が起源。1846年(弘化3年)再建。
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- | *東原庠舎
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- | *岡藩修道館
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- | *飫肥藩振徳堂
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- | *大宝聖堂:佐賀県佐賀市。
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- | *津藩有造館:大成殿があった。
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- | *前橋藩好古堂:講義のときには床の間に朱子像を祭り、講師は祭文を読んでから始めた。
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- | *岩槻藩遷喬館:菅神廟、学舎、武芸稽古所などがあった。
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- | *林田藩敬業館:聖廟、講堂、練武場などがあった。講堂のみ現存。
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- | *金沢藩明倫堂:大成殿があった。金沢神社が鎮守だった。
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- | *鳥取藩尚徳館:宇倍神社と賀露神社の分社があった。その社殿は市内の東井神社の社殿として現存。
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- | *新見藩思誠館:聖廟、講堂、道場などがあった。
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- | *備中松山藩有終館:講堂の一番奥にに祭壇があった。
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- | *大洲藩止善書院明倫堂:陽明学を主とした。孔子像に加え王陽明と中江藤樹の像を配して祀った。中江藤樹の祭祀は創設者の川田雄琴が師の三輪執斎から継承したもの。矢野玄道らを輩出。
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- | *平戸藩維新館:聖堂や稽古館などがあった、
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- | *高遠藩進徳館:高遠城内にあった。一部建物が現存。湯島聖堂の像を模した孔子像と四配像を祀る聖廟があった。現存する玄関の奥の間に祀られ、聖壇と呼ばれている。
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- | *岩村藩知新館:「釈奠の間」があった。後身とされる小学校では釈奠が行われている。
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- | *大垣藩致道館:大成殿があった
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- | *鹿児島・造士館:湯島聖堂を模して造営。聖堂などがあった。春秋の釈奠が盛大に行われていた。
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- | *弘前藩稽古館:釈奠のための雅楽の習得が奨励された。
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- | *盛岡藩作人館:神廟には大国主命と孔子像が合祀されていた。孔子像は盛岡聖堂として現存。
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- | *秋田藩明徳館:聖廟があり、釈奠が行われていた。
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- | *白河藩立教館:床の間に孔子像のほか、「大神宮の御祓」(神宮大麻)を掲げていた。松平定信の国学傾倒のためという。国史大辞典には「寛政以来、聖堂を設けず釈奠も行わず」とある。
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- | *[[中島聖堂]]:長崎県長崎市上町。立山書院。1647年(正保4年)儒者向井元升が東上町(長崎市上町・玉園町)に聖堂と学舎を建てて開校。1663年(寛文3年)大火で類焼。1710年(宝永7年)、旧鋳銭所跡(伊勢町)に移転し、1711年(正徳1年)8月再建を果たした。崇聖祠(孔子の祖先を祀るか)もあった。明治初年に廃校。1959年(昭和34年)に興福寺に移築した。長崎聖堂。
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- | ===近代===
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- | *[[孔聖神社]]:香川県綾歌郡綾川町。[[瀧宮天満宮]]内
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- | *[[哲学堂]]:東京都中野区松が丘にある霊廟。祭神は[[ソクラテス]]、[[カント]]、孔子、[[釈迦]]。井上円了が創建。
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- | *[[八聖殿]]:神奈川県横浜市中区本牧元町にある霊廟。祭神は[[キリスト]]、[[ソクラテス]]、[[孔子]]、[[釈迦]]、神鏡、[[聖徳太子]]、[[弘法大師]]、[[親鸞]]、[[日蓮]]。
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- | *[[松殿山荘聖賢堂]]:京都府宇治市木幡南山にある霊廟。円形の聖堂には聖徳太子、釈迦、孔子を祀り、 方形の賢堂には千利休、小堀遠州ら茶道に関する三十六賢人を祀る。1924年建立。
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- | *[[盛岡聖堂]]:岩手県盛岡市にある孔子廟。孔子像は盛岡藩の藩校作人館神廟に祀られていたもの。
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- | *[[菊池孔子廟]]:熊本県菊池市泗水町豊水。
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- | *[[東日本国際大学大成殿]]:福島県いわき市平鎌田寿金沢。
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- | *[[道明寺天満宮大成殿]]:大阪府藤井寺市道明寺。[[道明寺天満宮]]境内。
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- | *[[有源招魂社]]:大阪府四條畷市南野。[[四條畷神社]]境内にある。1969年(昭和44年)、成人教学研修所が飯盛山東峰の有源山に安岡正篤、聖徳太子、王仁、孔子など先哲29柱と、関西実業人を祀る祭殿を創建。成人教学研修所の閉所に伴い2003年(平成15年)4月に四條畷神社に有源招魂社として奉遷。2007年(平成19年)4月7日、新社殿を建てた。先哲29柱は池田草庵、菅原道真、伝教大師、春日潜庵、佐藤一斎、中江藤樹、本居宣長、水戸光圀、山田方谷、聖徳太子、杉浦重剛、山鹿素行、元田永孚、山崎闇斎、弘法大師、伊藤仁斎、安岡正篤、熊沢蕃山、野中兼山、孔子、李退渓、張横渠、老子、曽子、顔回、王陽明、王仁博士、思子、子貢。
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- | *[[田丸孔子廟]]:三重県度会郡玉城町佐田。小林政太郎が1915年(大正4年)建立。明末作という孔子像・孟子像・子思像を祀った。廃絶。跡地に記念碑がある。玉城郵便局の裏。古写真[https://www.library.pref.nara.jp/supporter/naraweb/page_thumb39673.html]。
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- | *[[保土ケ谷大正殿]]:神奈川県横浜市保土ケ谷区岩間町。不詳。[https://dl.ndl.go.jp/pid/1213216/1/47]
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| ==琉球== | | ==琉球== |
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| *啓聖王:孔子の父 | | *啓聖王:孔子の父 |
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- | ==資料==
| + | [[category:系譜記事]] |
- | *『日本教育史資料』諸藩の部祭儀[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809559/1]:江戸時代の釈奠。
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- | *飯田須賀斯1941「江戶時代の孔子廟建築」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1913795/1/536]
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- | *鈴木三八男編1974『日本の孔子廟と孔子像』
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- | *城戸久・高橋宏之1975『藩校遺構―江戸時代の学校建築と教育』
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- | *市橋一郎2019「日本の孔子廟の変遷についての一考察」『足利学校紀要・学校』17
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