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チベット仏教サキャ派
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年5月27日 (土)
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+ | *[[ゴル寺]]:ゴル派の本山。クンガーサンポが1429年創建。ゴル・エワム・チューデン寺。 | ||
+ | *[[ダルダンモチェ寺]]:ツァル派の本山。 | ||
+ | *[[ナーレンダ寺]]:ツァル派の本山。こちらに移る。 | ||
+ | *[[コンカル寺]]:コンカル派の本山。1464年、創建。コンカル・チューデ寺 | ||
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+ | ==流派== | ||
+ | *サキャ派:サキャ派 | ||
+ | *ゴル派:クンガーサンポ(1382-1456)が開祖。 | ||
+ | *ツァル派:ロセル・ギャツォ(1502-1566)が開祖。 | ||
+ | *コンカル派:クンガー・ナムギェル(1432-1496)が開祖。ゾン派とも。 | ||
==組織== | ==組織== | ||
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*最高指導者をサキャトリジン(Sakya Trizin、Sakya Tridzin)と呼称する。漢語では「薩迦法王」と表記する。またコンマ・リンポチェ(Gongma Rinpoche、貢瑪仁波切)とも呼ばれる。日本では「座主」と訳されることが多い。 | *最高指導者をサキャトリジン(Sakya Trizin、Sakya Tridzin)と呼称する。漢語では「薩迦法王」と表記する。またコンマ・リンポチェ(Gongma Rinpoche、貢瑪仁波切)とも呼ばれる。日本では「座主」と訳されることが多い。 | ||
*他派と異なり、転生僧ではなくコン氏(クン氏)の世襲。例外を除いて在家者・妻帯。 | *他派と異なり、転生僧ではなくコン氏(クン氏)の世襲。例外を除いて在家者・妻帯。 | ||
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2023年5月27日 (土) 時点における最新版
サキャ派は、コンチョク・ギェルポ(1034-1102)を開祖とし、サキャ寺を拠点としていたチベット仏教の宗派。ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の四大宗派の一つ。パスパがフビライの信任を得て元朝と密接に結び付き、元朝の帝師を世襲した。モンゴル人がチベット仏教化するきっかけを作った。かつては政教一致的な政権を築いていた。現在はインドとアメリカに拠点を置く。
目次 |
歴史
寺院
- サキャ寺
- ゴル寺:ゴル派の本山。クンガーサンポが1429年創建。ゴル・エワム・チューデン寺。
- ダルダンモチェ寺:ツァル派の本山。
- ナーレンダ寺:ツァル派の本山。こちらに移る。
- コンカル寺:コンカル派の本山。1464年、創建。コンカル・チューデ寺
- デルゲ寺
流派
- サキャ派:サキャ派
- ゴル派:クンガーサンポ(1382-1456)が開祖。
- ツァル派:ロセル・ギャツォ(1502-1566)が開祖。
- コンカル派:クンガー・ナムギェル(1432-1496)が開祖。ゾン派とも。
組織
歴代座主
- 最高指導者をサキャトリジン(Sakya Trizin、Sakya Tridzin)と呼称する。漢語では「薩迦法王」と表記する。またコンマ・リンポチェ(Gongma Rinpoche、貢瑪仁波切)とも呼ばれる。日本では「座主」と訳されることが多い。
- 他派と異なり、転生僧ではなくコン氏(クン氏)の世襲。例外を除いて在家者・妻帯。
- シトク王家、リンチェンカン王家、ラカン王家、ドゥチョー王家の四つの王家に分かれ、現在はドゥチョー王家が別れたドルマ宮(Drolma Podrang、度母宮)、プンツォク宮(Phuntsok Podrang、円満宮)の二つの宮家によって継承されている。現在、ドルマ宮はインドのラジプールに、プンツォク宮はアメリカシアトルに拠点を置いている。
- 一覧表の主な出典はWikipedia英語版[1]、Wikipedia中国語版[2]、およびその典拠となったDrogmi Buddhist Instituteウェブサイト[3][4]。またRigpa Shedra Wiki[5]、プンツォク宮ウェブサイト[6]を参照した。佐野智子1994「元代のサキャパ座主と帝師」『元・明代中蔵関係史の研究』[7]、加納和雄・川崎一洋2011「サキャ南寺・三解脱門堂の歴史と壁画曼荼羅」[8]も参照。
- カタカナ音写については要検討。漢字表記も複数あるようだ。「葛」の文字は「口葛」または「口+丆目戈」の字を使うことが多い。「讃」も「賛」の字を用いることも多い。
代数 | 名前 | 生没 | 在職 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
1 | コンチョク・ギェンポ (Khon Konchog Gyalpo、昆貢却傑波) | 1034-1102 | 1073-1102 | コン・ペルポチェの末裔という。1073年、サキャ寺を創建。 |
2 | リンチェン・タクパ (Rinchen Drakpa、仁欽扎) | 1040-1111 | 1103-1110 | 巴日訳師(Bari Lotsawa)。 |
3 | サチェン・クンガ・ニンポ (Sachen Kunga Nyingpo、薩欽貢葛寧波) | 1092-1158 | 1111-1158 | サキャ五祖で「白衣の三祖」の一人。 |
4 | ソナム・ツェモ (Sonam Tsemo、索南孜摩) | 1142-1182 | 1159-1171 | サキャ五祖で「白衣の三祖」の一人。 |
5 | ジェツン・タクパ・ギェンツェン (Jetsun Dragpa Gyaltsen、扎巴堅讃) | 1147-1216 | 1172-1215 | サキャ五祖で「白衣の三祖」の一人。 |
6 | サキャ・パンディタ (Sakya Pandita、薩迦班智達) | 1182-1251 | 1216-1243 | サキャ五祖で「紅衣の二祖」の一人。初の出家者。 |
代理 | 1243-1264 | |||
7 | ドグン・チューギェン・パクパ (Drogon Chogyal Phagpa、八思巴) | 1235-1280 | 1265-1266 | 元朝帝師初代。サキャ五祖で「紅衣の二祖」の一人。出家者。洛珠堅讃、羅卓堅讃。 |
8 | リンチェン・ギェンツェン (Rinchen Gyaltsen、仁欽堅讃) | 1238-1279 | 1267-1275 | イリンチン(亦憐真)。 |
再 | ドグン・チューギェン・パクパ (Drogon Chogyal Phagpa、八思巴) | 1235-1280 | 1276-1280 | |
9 | ダルマパーラ・ラクシタ (Dharmapala Rakshita、答耳麻八剌剌吉塔) | 1268-1287 | 1281-1287 | 元朝帝師2代。保祐護法。答児麻八剌剌吉塔。 |
10 | ジャムヤン・リンチェン・ギェンツェン (Jamyang Rinchen Gyaltsen、絳央仁欽堅讃) | 1258-1306 | 1288-1297 | 元朝帝師6代。1305年退任とも[9]。輦真監蔵。 |
11 | デチェン・サンポ・ペル (Danyi Chenpo Zangpo Pal、達尼欽波桑波貝) | 1262-1324 | 1298-1324 | 1306年就任とも[10]。退任年は1322、1323、1324説がある[11]。 |
12 | ナムカ・レクペーロトェ・ギェンツェン・ペルサンポ (Khatsun Namkha Lekpa Gyaltsen、嚢〓来巴) | 1305-1343 | 1324?-1342 | シトク王家出身。1325年就任とも[12]。(〓は「上卜」) |
13 | ジャムヤン・ドンヨ・ギェンツェン (Jamyang Donyo Gyaltsen、嘉央屯月堅讃) | 1310-1344 | 1342?-1344 | リンチェンカン王家出身。 |
14 | ソナム・ギェンツェン・ペルサンポ (Lama Dampa Sonam Gyaltsen、索南堅讃) | 1312-1375 | 1344-1347 | リンチェンカン王家出身。 |
15 | ロトェ・ギェンツェン・ペルサンポ (Tawen Lodro Gyaltsen、羅珠堅讃) | 1332-1364 | 1347-1364 | ラカン王家出身。1357年退任とも[13]。 |
16 | クンガー・リンチェン・ギェンツェン・ペルサンポ (Tawen Kunga Rinchen、貢葛仁欽) | 1339-1399 | 1364?-1399 | シトク王家出身。1358年就任とも[14]。 |
17 | ロプン・チェンポ・グーシ・ロトェ・ギャンツェン (Lopon Chenpo Gushri Lodro Gyaltsen、固実羅珠堅讃) | 1366-1420 | 1399-1420 | シトク王家出身。 |
18 | ジャムヤン・ナムカ・ギャルツェン (Jamyang Namkha Gyaltsen、絳央南〓堅讃) | 1398-1472 | 1421-1441 | リンチェンカン王家出身。(〓は「上卜」) |
19 | クンガー・ワンチュク (Kunga Wangchuk、貢葛旺秋) | 1418-1462 | 1442-1462 | シトク王家出身。 |
20 | 〓・シェラプ・ギャンツェン (Gyagar Sherab Gyaltsen、達欽甲葛西繞堅讃) | 1436-1494 | 1463-1472 | リンチェンカン王家出身。 |
21 | ダチェン・ロトェ・ギャンツェン (Dagchen Lodro Gyaltsen、大聖羅卓堅讃) | 1444-1495 | 1473-1495 | リンチェンカン王家出身。 |
22 | クンガソナム (Kunga Sonam、貢葛索南) | 1485-1533 | 1496-1533 | ドゥチョー王家出身。薩羅蒋貝多傑。 |
23 | ガンジャン・チョエキ・ギェルポ・クンガリンチェン (Ngagchang Kunga Rinchen、拿羌千波貢葛仁欽) | 1517-1584 | 1534-1584 | ドゥチョー王家出身。 |
24 | ジャムヤン・ソナム・ワンポ (Jamyang Sonam Sangpo、絳央索南堅讃) | 1519-1621 | 1584-1589 | ドゥチョー王家出身。1559年生とも[15] |
25 | タクパ・ロドゥ・ギェルツェン (Dragpa Lodro、扎巴羅珠) | 1563-1617 | 1589-1617 | ドゥチョー王家出身。 |
26 | ガワン・グンガ・ワンギェル (Ngawang Kunga Wangyal、阿旺貢葛旺嘉) | 1592-1620 | 1618-1620 | ドゥチョー王家出身。 |
27 | ジャムグン・アメシャブ・クンガソナム (Ngawang Kunga Sonam、阿旺貢葛索南) | 1597-1659 | 1620-1659 | ドゥチョー王家出身。蒋貢阿美夏貢〓索南。 |
28 | ジャムグン・ソナム・ワンチュク (Ngawang Sonam Wangchuk、阿旺貢葛旺秋) | 1638-1685 | 1659-1685 | ドゥチョー王家出身。 |
29 | ジャムグン・クンガ・タシー (Ngawang Kunga Tashi、阿旺貢葛扎西) | 1656-1711 | 1685-1711 | ドゥチョー王家出身。1741年死去とも[16]。 |
30 | ジャムヤン・ソナム・リンチェン (Sonam Rinchen、索南仁欽) | 1705-1741 | 1711-1741 | ドゥチョー王家出身。 |
31 | サチェン・クンガ・ロドゥ (Kunga Lodro、貢葛羅珠) | 1729-1783 | 1741-1783 | ドゥチョー王家出身。薩千貢葛羅卓。 |
32 | ジャムグン・ワンドゥニンポ (Wangdu Nyingpo、旺秋寧布) | 1763-1809 | 1783-1806 | ドゥチョー王家出身。1806年死去とも[17]。図千旺都寧波 |
33 | ペマ・トントゥル・ワンチュク (Pema Dudul Wangchuk、貝瑪敦都旺秋) | 1792-1853 | 1806-1843 | ドゥチョー王家出身。ドルマ宮家を創設。貝瑪堆度旺秋。 |
34 | ドルジェ・リンチェン (Dorje Rinchen、多傑仁欽) | 1819-1867 | 1843-1845 | ドゥチョー王家出身。プンツォク宮家を創設したクンガリンチェン(貢葛仁千)(1794-1856)の子。多傑仁千。 |
35 | タシー・リンチェン (Tashi Rinchen、扎西仁欽) | 1824-1865 | 1846-1865 | ドルマ宮家出身。 |
36 | クンガソナム (Kunga Sonam、貢葛索南) | 1842-1882 | 1866-1882 | プンツォク宮家出身。巴丹確吉朗波。 |
37 | クンガニンポ (Kunga Nyingpo、貢葛寧布) | 1850-1899 | 1883-1899 | ドルマ宮家出身。 |
38 | ザムリン・チェグ・ワンデュ (Dzamling Chegu Wangdu、瞻嶺切古旺堆) | 1855-1919 | 1901-1915 | プンツォク宮家出身。贊林切古旺度。 |
39 | タクシュル・ティンレ・リンチェン (Dragshul Trinle Rinchen、察速聴列仁千) | 1871-1936 | 1915-1936 | ドルマ宮家出身。 |
40 | ガワン・トゥトブ・ワンタク (Ngawang Thutob Wangdrag、阿旺土登旺秋) | 1900-1950 | 1937-1950 | プンツォク宮家出身。図丹凱竹嘉措。 |
41 | ガワン・クンガー・テクチェン (Ngawang Kunga Thegchen Palber Thrinley Samphel Wanggi Gyalpo、拿旺貢葛帖千巴魃聴列桑珮旺吉嘉波) | 1945- | 1951-2017 | ドルマ宮家出身。1959年就任とも。 |
42 | ラトナ・ヴァジュラ・リンポチェ (Ratna Vajra Rinpoche、拿旺貢葛羅卓旺秋仁千吉美聴列) | 1974- | 2017-2022 | ドルマ宮家出身。ガワン・クンガー・テクチェンの長男。 |
43 | ギャナ・ヴァジュラ・リンポチェ (Gyana Vajra Rinpoche、貢葛仁千欽哲多傑) | 1979- | 2022- | ドルマ宮家出身。ガワン・クンガー・テクチェンの次男。 |
ブンチェン
元朝支配下において世俗的な面を担った役職。
白蘭王
元朝支配下においてコン氏の有力者に与えられた名誉的な称号。
資料
- 佐野智子1994「元代中蔵関係の変質」『元・明代中蔵関係史の研究』[18]