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大后廟
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月13日 (日)
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- | '''大后廟'''は東扶余にあった[[高句麗王室]]の[[祠廟]]。柳花夫人を祀る。東扶余は現在の中国吉林省のあたりか。廃絶。柳花夫人は伝説的な人物で、[[河伯神]]の娘とされ、東扶余王の金蛙王の妃で、高句麗初代の東明聖王の生母。『北史』「高句麗伝」(『三国史記』「祭祀志」にも引用)によれば高句麗には高登神と夫余神の二つの「神廟」があり、夫余神は河伯の娘とあることから大后廟は夫余神の神廟に当たるとみられる(高登神は[[卒本・始祖廟]] | + | '''大后廟'''は東扶余にあった[[高句麗王室]]の[[祠廟]]。柳花夫人を祀る。東扶余は現在の中国吉林省のあたりか。廃絶。柳花夫人は伝説的な人物で、[[河伯神]]の娘とされ、東扶余王の金蛙王の妃で、高句麗初代の東明聖王の生母。『北史』「高句麗伝」(『三国史記』「祭祀志」にも引用)によれば高句麗には高登神と夫余神の二つの「神廟」があり、夫余神は河伯の娘とあることから大后廟は夫余神の神廟に当たるとみられる(高登神は[[卒本・始祖廟]]か。ただし『北史』の記述は後世の平壌の王宮にあったという見方もある)。同書によると、木を刻んだ婦人の像を祭っているという。『三国史記』「高句麗本紀」でも「神廟」とあり、神格化されていたとみられる。 |
==歴史== | ==歴史== |
2023年8月13日 (日) 時点における最新版
大后廟は東扶余にあった高句麗王室の祠廟。柳花夫人を祀る。東扶余は現在の中国吉林省のあたりか。廃絶。柳花夫人は伝説的な人物で、河伯神の娘とされ、東扶余王の金蛙王の妃で、高句麗初代の東明聖王の生母。『北史』「高句麗伝」(『三国史記』「祭祀志」にも引用)によれば高句麗には高登神と夫余神の二つの「神廟」があり、夫余神は河伯の娘とあることから大后廟は夫余神の神廟に当たるとみられる(高登神は卒本・始祖廟か。ただし『北史』の記述は後世の平壌の王宮にあったという見方もある)。同書によると、木を刻んだ婦人の像を祭っているという。『三国史記』「高句麗本紀」でも「神廟」とあり、神格化されていたとみられる。
歴史
- 前24年8月:柳花夫人、東扶余で薨去。東扶余王の金蛙が柳花夫人の葬儀を大后の礼式で行い、神廟を建てた。(『三国史記』「高句麗本紀」)
- 前24年10月:東明聖王、使者を扶余に派遣し、金蛙の徳に報いた。(『三国史記』「高句麗本紀」)
- 121年10月:太祖大王、扶余に行幸して大后廟を祭った。(『三国史記』「高句麗本紀」)