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卒本・始祖廟
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月14日 (月)
始祖廟は王都卒本(中国遼寧省本渓市桓仁満族自治県)にあった高句麗王室の祠廟。初代東明聖王(高朱蒙)を祭ったとみられる。廃絶。遷都後も始祖廟は卒本に残された。即位後2-3年で参詣することが多く即位儀礼と結び付いていたとみられる。 『北史』「高句麗伝」(『三国史記』「祭祀志」にも引用)によれば高句麗には高登神(登高神)と夫余神の二つの「神廟」があり、夫余神は始祖であるということから始祖廟は高登神の神廟に当たるとみられる(夫余神は大后廟か。ただし『北史』の記述は後世の平壌の王宮にあったという見方もある)。別に王都に宗廟もあったことが知られるが、始祖廟のほうが重視されていたようだ。
東明聖王は「東明王」とも呼ばれ、高句麗で毎年10月に行われていた「東盟」祭との関連も指摘される。百済の始祖王も「東明王」とされ、「東明廟」の祭祀が重視された。高句麗も百済も共に、王統の起源が「扶余」(満洲地方南部)にあるとされ、「東明」は、三国時代を遡る時代から崇敬されていた神格だったとも想定できる。
歴史
- 167年9月:8代新大王、卒本に行幸して始祖廟を祭った。即位3年。(『三国史記』「高句麗本紀」。同書「祭祀志」では168年)
- 180年9月:9代故国川王、卒本に行幸して始祖廟を祭った。即位翌年。(『三国史記』「高句麗本紀」。同書「祭祀志」では179年)
- 204年:集安に遷都。
- 228年2月:11代東川王、卒本に行幸して始祖廟を祭り、大赦を行った。即位翌年。(『三国史記』「高句麗本紀」)
- 260年9月:12代中川王、卒本に行幸して始祖廟を祭った。即位13年。(『三国史記』「高句麗本紀」)
- 332年2月:16代故国原王、卒本に行幸して始祖廟を祭った。即位翌年。(『三国史記』「高句麗本紀」)
- 427年:平壌に遷都。
- 521年4月:22代安臧王、卒本に行幸して始祖廟を祭った。即位3年。(『三国史記』「高句麗本紀」)
- 560年2月:25代平原王、卒本に行幸して始祖廟を祭った。即位翌年。(『三国史記』「高句麗本紀」)
- 619年4月:27代栄留王、卒本に行幸して始祖廟を祭った。即位翌年。(『三国史記』「高句麗本紀」)