出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月13日 (日)
宗廟は王都平壌にあった高句麗王室の宗廟。廃絶。平壌遷都と共に移転したとあるので集安(丸都)にもあったか。ほとんど史料に現れず、高句麗の祖先祭祀の中心は宗廟よりも古都桓仁(卒本)の始祖廟にあったと思われる。中国式の宗廟があったことには懐疑的な見方もある。
歴史
- 247年2月:11代東川王、平壌遷都。宗廟と社稷を移したという。(『三国史記』「高句麗本紀」)
- 392年3月:18代故国壌王、国社を建て宗廟を修理させた。(『三国史記』「高句麗本紀」)