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東大寺真言院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年2月10日 (土)
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'''東大寺真言院'''(とうだいじ・しんごんいん)は、奈良県奈良市の[[東大寺]]にある[[密教]]寺院。[[空海]]が東大寺別当在任中(810-814)に創建。弘仁13年、灌頂道場を創設し、[[南都]]における[[真言宗]]の根本道場とした。当初は'''南院'''と称した。鎌倉時代に文永11年(1274)聖守が再興。聖守は[[真言院流]]を立てる。弘安4年(1281)官符で鎮護国家道場に定められた。現在の伽藍は近世に応其が再建したもの。潅頂堂、舎利殿、大師堂、神護殿がある。[[東大寺関連旧跡]]も参照。(国史大事典) | '''東大寺真言院'''(とうだいじ・しんごんいん)は、奈良県奈良市の[[東大寺]]にある[[密教]]寺院。[[空海]]が東大寺別当在任中(810-814)に創建。弘仁13年、灌頂道場を創設し、[[南都]]における[[真言宗]]の根本道場とした。当初は'''南院'''と称した。鎌倉時代に文永11年(1274)聖守が再興。聖守は[[真言院流]]を立てる。弘安4年(1281)官符で鎮護国家道場に定められた。現在の伽藍は近世に応其が再建したもの。潅頂堂、舎利殿、大師堂、神護殿がある。[[東大寺関連旧跡]]も参照。(国史大事典) | ||
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+ | ファイル:00FB9337-AC94-447A-90D0-FC96342E124A.jpeg|(国土地理院空中写真より) | ||
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2024年2月10日 (土) 時点における最新版
東大寺真言院(とうだいじ・しんごんいん)は、奈良県奈良市の東大寺にある密教寺院。空海が東大寺別当在任中(810-814)に創建。弘仁13年、灌頂道場を創設し、南都における真言宗の根本道場とした。当初は南院と称した。鎌倉時代に文永11年(1274)聖守が再興。聖守は真言院流を立てる。弘安4年(1281)官符で鎮護国家道場に定められた。現在の伽藍は近世に応其が再建したもの。潅頂堂、舎利殿、大師堂、神護殿がある。東大寺関連旧跡も参照。(国史大事典)
組織
住職
- 空海?
- 真雅?
- 俊才?
中世以降
- 1中道聖守():
- 2道月聖然():
- 3住円():覚秀道悟
- 4覚深明本():
- 5宗清明運():
- 6善蓮融真():
- 7英識清然():
- 8深證真賢():眉間寺中興1世。
- 9聖瑛光兼():眉間寺2世。
- 10英如隆賢():眉間寺3世。
- 11聖秀(?-1638):成秀の弟子。長尊房。戒壇院年預。眉間寺4世。真言院11世。
- 12俊明善證():眉間寺8世。
- 13有恵良善():
- 14有慶良深():
- 15有深良俊():
- 16有秀明深():
- 17俊良浄慶(1608-1680):戒壇院長老29世。
- 18慶尊聖遍(1624-):戒壇院長老31世。
(『伝律図源解集』より)