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蜂子皇子旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年5月23日 (水)
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- | + | '''蜂子皇子'''(はちこのおうじ)(生没年不詳)は、[[崇峻天皇]]の皇子で、[[出羽三山]]の開山。[[聖徳太子]]の従兄弟に当たる。崇峻天皇暗殺に際して東北に落ち延びたと言われる。'''能除太子'''と同一視される。1823年(文政6年)8月、[[寛永寺]]を通じて朝廷より'''照見大菩薩'''の諡号を賜る。神仏分離に伴い、1874年(明治7年)2月7日、神号を'''蜂子命'''と定められた。 | |
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+ | *[[出羽三山]] | ||
+ | *八乙女岩窟:羽黒権現が最初に影向した場所。海中に鳥居があるという。(1900(明治33)『三山縁起』)。昭和50年代ごろに崩落して岩窟は塞がれたという。 | ||
+ | *阿久谷:入峯拝所。東照社のうしろのあたり。滝である。岩窟があるともいう。蜂子皇子が出羽三山開山の際に最初に修行した旧跡で、羽黒権現出現の霊地である。「阿古屋」、「阿古谷」とも表記して、「本羽黒」「秘密滝」とも称す。羽黒山最大の秘所とも言われる。「本羽黒」の名はかつてここに本社があったと言われているからで、皇野からここに本社を遷し、のち現在地に遷したとも言う。 | ||
+ | *元羽黒:蜂子皇子修行の旧跡。太泉山万納寺があった。元羽黒。蜂子皇子の名に因む鉢子集落がそばにある。 | ||
+ | *御座石:御座石(おまし)。蜂子皇子が八咫烏の導きで羽黒山に辿り着いたときに腰をかけた石という。また蜂子皇子はこの石の上で結跏趺坐したまま、昇天したともいう。 | ||
+ | *[[蜂子皇子墓]]: | ||
+ | *開山塚:蜂子皇子墓。皇野原の東北の端にあるという(『出羽三山』18)。同じく蜂子皇子墓の伝承を持つ「行者塚」が近くにある。 | ||
+ | *蜂子神社:旧開山堂。「開山堂」。祭神は蜂子命(照見大菩薩)である。1874年(明治7年)2月7日、蜂子神社と改称。社殿は正面3間、側面4間の宝形造である(鶴岡市指定文化財「羽黒山蜂子神社」)。神社の「秋の峰」(8月26日~9月1日)の六日目にあたる8月31日夜に、入峯山伏によって例祭として蜂子神社祭と柴灯祭から成る八朔祭が行われる。柴灯祭は神社前に柴灯壇を築いて、柴灯を修する。風鎮めを願う稲作儀礼ともされる。 | ||
+ | *吹越神社 | ||
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2018年5月23日 (水) 時点における最新版
蜂子皇子(はちこのおうじ)(生没年不詳)は、崇峻天皇の皇子で、出羽三山の開山。聖徳太子の従兄弟に当たる。崇峻天皇暗殺に際して東北に落ち延びたと言われる。能除太子と同一視される。1823年(文政6年)8月、寛永寺を通じて朝廷より照見大菩薩の諡号を賜る。神仏分離に伴い、1874年(明治7年)2月7日、神号を蜂子命と定められた。
一覧
- 出羽三山
- 八乙女岩窟:羽黒権現が最初に影向した場所。海中に鳥居があるという。(1900(明治33)『三山縁起』)。昭和50年代ごろに崩落して岩窟は塞がれたという。
- 阿久谷:入峯拝所。東照社のうしろのあたり。滝である。岩窟があるともいう。蜂子皇子が出羽三山開山の際に最初に修行した旧跡で、羽黒権現出現の霊地である。「阿古屋」、「阿古谷」とも表記して、「本羽黒」「秘密滝」とも称す。羽黒山最大の秘所とも言われる。「本羽黒」の名はかつてここに本社があったと言われているからで、皇野からここに本社を遷し、のち現在地に遷したとも言う。
- 元羽黒:蜂子皇子修行の旧跡。太泉山万納寺があった。元羽黒。蜂子皇子の名に因む鉢子集落がそばにある。
- 御座石:御座石(おまし)。蜂子皇子が八咫烏の導きで羽黒山に辿り着いたときに腰をかけた石という。また蜂子皇子はこの石の上で結跏趺坐したまま、昇天したともいう。
- 蜂子皇子墓:
- 開山塚:蜂子皇子墓。皇野原の東北の端にあるという(『出羽三山』18)。同じく蜂子皇子墓の伝承を持つ「行者塚」が近くにある。
- 蜂子神社:旧開山堂。「開山堂」。祭神は蜂子命(照見大菩薩)である。1874年(明治7年)2月7日、蜂子神社と改称。社殿は正面3間、側面4間の宝形造である(鶴岡市指定文化財「羽黒山蜂子神社」)。神社の「秋の峰」(8月26日~9月1日)の六日目にあたる8月31日夜に、入峯山伏によって例祭として蜂子神社祭と柴灯祭から成る八朔祭が行われる。柴灯祭は神社前に柴灯壇を築いて、柴灯を修する。風鎮めを願う稲作儀礼ともされる。
- 吹越神社