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葛川明王院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年10月29日 (土)
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- | '''葛川明王院'''(かつらがわ・みょうおういん)は、滋賀県大津市の[[比叡山]]東麓にある[[不動信仰]]の[[天台宗]]寺院。[[無動寺]]とともに[[比叡山修験]]の拠点で、[[相応]]が創建した。鎮守として[[葛川・地主神社]] | + | '''葛川明王院'''(かつらがわ・みょうおういん)は、滋賀県大津市の[[比叡山]]東麓にある[[不動信仰]]の[[天台宗]]寺院。[[無動寺]]とともに[[比叡山修験]]の拠点で、[[相応]]が創建した。鎮守として[[葛川・地主神社]]がある。(参考:同名寺院[[明王院]]) |
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+ | ==資料== | ||
+ | *『葛川文書』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2609969] | ||
+ | *『明王院文書』:『滋賀県魚業史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2470217/50] | ||
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+ | *叡山文化綜合研究会1960『葛川明王院―葛川谷の歴史と環境』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3014134] | ||
+ | *中村直勝 1962『歴史の発見―古文書の魅力』「葛川明王院」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2972318/51] | ||
+ | *景山春樹1962「葛川明王院と地主神社」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2496723/164] | ||
+ | *景山春樹1967「葛川明王院と修験」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2985203/119] | ||
+ | *景山春樹1972「回峯修験と葛川明王院―比叡山の修験と別院参詣」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7930495/42] | ||
+ | *景山春樹1973「葛川明王院と懸仏」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4429658/4] | ||
+ | *坂田聡1985「中世在村寺院の村堂化の過程と在地住民の動向について―近江国葛川明王院を例に」 [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4422669/19] | ||
+ | *時枝務1985「木製碑伝考―葛川明王院の参籠札を中心として」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6067438/8] | ||
+ | *山下立1994「新出の葛川明王院旧蔵懸仏について―総持寺金銅不動明王種子懸仏」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6067538/6] | ||
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2022年10月29日 (土) 時点における最新版
葛川明王院(かつらがわ・みょうおういん)は、滋賀県大津市の比叡山東麓にある不動信仰の天台宗寺院。無動寺とともに比叡山修験の拠点で、相応が創建した。鎮守として葛川・地主神社がある。(参考:同名寺院明王院)
資料
- 叡山文化綜合研究会1960『葛川明王院―葛川谷の歴史と環境』[3]
- 中村直勝 1962『歴史の発見―古文書の魅力』「葛川明王院」[4]
- 景山春樹1962「葛川明王院と地主神社」[5]
- 景山春樹1967「葛川明王院と修験」[6]
- 景山春樹1972「回峯修験と葛川明王院―比叡山の修験と別院参詣」[7]
- 景山春樹1973「葛川明王院と懸仏」[8]
- 坂田聡1985「中世在村寺院の村堂化の過程と在地住民の動向について―近江国葛川明王院を例に」 [9]
- 時枝務1985「木製碑伝考―葛川明王院の参籠札を中心として」[10]
- 山下立1994「新出の葛川明王院旧蔵懸仏について―総持寺金銅不動明王種子懸仏」[11]