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姥神大神宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年5月30日 (木)
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2024年5月30日 (木) 時点における最新版
姥神大神宮(うばがみ・だいじんぐう)は、北海道檜山郡江差町姥神町にある伊勢信仰の神社。県社。祭神は天照皇大神・春日大明神・住吉大明神。北海道最古の神社といわれる。姥神神社・姥神社とも。
歴史
創建は諸説あり不詳。一説には1447年(文安4年)創建とも。1644年(正保1年)現在地に遷座したと伝える。江差の産土神・総鎮守。1817年(文化14年)正一位の神階を贈られる。境内には折居社・弁天社などがある。1884年(明治17年)4月県社昇格(神道史大辞典)。(日本歴史地名大系)
組織
歴代
- 1折居姥()<>:
- 2藤原永武(生没年不詳)<>:
- 3白鳥輝武(生没年不詳)<>:左門。
- 4白鳥満武(生没年不詳)<1715-1735>:因幡守。白鳥輝武の次男という。1714年、姥神大神宮神主。1735年、城下八幡宮の神主に転任。ち
- 5木村義武()<1735-1740>:城下熊野神社の神主。仮に姥神大神宮の神主となる。淡路守。
- 6藤枝政重()<1740-?>:元は福山の羽黒神社の神主。1740年、姥神大神宮神主。1752年(宝暦2年)上京して吉田家から「継目免状」を拝戴。豊後守。
- 7藤枝政武()<1775-?>:1775年(安永4年)上京して吉田家から「継目免状」を拝戴。豊後守と称す。
- 8藤枝政房()<>:1630年(寛永7年)上京して吉田家から「継目免状」を拝戴。豊後守と称す。
- 9藤枝政安()<1812-?>:継目免状なし。宮門と称す。1812年(文化9年)吉田家から「大神主」免許。
- 10藤枝政光()<1815-?>:1815年(文化12年)上京して吉田家の執奏で従五位下相模守。
- 11藤枝政貫()<1819-?>:主殿と称す。1819年(文政2年)上京して吉田家から「大神主」の継目免状を拝戴。豊後正と称す。
- 12藤枝政之()<>:辛治と称す。1839年(天保10年)8月、上京して吉田家から「大神主」の継目免状を拝戴。主膳正と称す。
- 13藤枝政則()<>:兵部と称す。1839年(天保10年)8月、上京して吉田家から「大神主」の継目免状を拝戴。1858年(安政5年)6月、吉田家の執奏で従五位下相模守。
- 14藤枝政延(?-1881)<1858-1881>:1858年(安政5年)6月、吉田家から「大神主」の継目免状を拝戴。長関。1871年(明治4年)12月24日、世襲廃止により解任。同日、社掌。1875年(明治8年)1月4日、教導職少講義。明治14年死去。
- 15藤枝貞麿(1867-?)<1885->:1885年、姥神大神宮社司。[1]
- 16藤枝修衡(1892-1959)<>:北海道護国神社宮司。
- 17藤枝尊広(1898-?)<>:札幌師範学校卒業。国学院大学祭式講習科修了。学校教員を長年務めた。選挙管理委員会委員長。[2]
- 18藤枝敬鎮()<>:
- 藤枝正承()<>:
- 鎌田将仁()<2017->:2017年(平成29年)6月就任。