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赤日子神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年5月18日 (土)

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'''赤日子神社'''(あかひこ・じんじゃ)は愛知県蒲郡市神ノ郷町(三河国宝飯郡)にある神社。[[官社]]。[[県社]]。[[大嘗祭]]ゆかりの「'''神服社'''」に比定される(『古事類苑』)。『貞観儀式』によると[[神祇官]]は9月上旬に神服社神主を神服使として三河国に派遣して、織女など10人を率いて上京した。'''赤孫大明神'''、'''赤孫子神社'''とも。
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'''赤日子神社'''(あかひこ・じんじゃ)は愛知県蒲郡市神ノ郷町(三河国宝飯郡)にある神社。祭神は[[綿積豊玉彦]]・[[豊玉姫]]・[[彦火火出見命]]。[[官社]]。[[県社]]。[[大嘗祭]]ゆかりの「'''神服社'''」に比定される(『古事類苑』)。『貞観儀式』によると[[神祇官]]は9月上旬に神服社神主を神服使として三河国に派遣して、織女など10人を率いて上京した。「あかひこ」は「あかひき」に通じるとして[[伊勢神宮]]に「赤引糸」を献納していた三河国の故地はこの地だとする見解もある(荒木田経雅『大神宮儀式解』)。'''赤孫大明神'''、'''赤孫子神社'''とも。(参考:同名神社[[服部神社]])
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==歴史==
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*851年(仁寿1年)10月7日:神階、従五位下(文徳実録)
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*865年(貞観7年)12月26日:従五位上(三代実録)
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*876年(貞観18年)6月8日:正五位下(三代実録)
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*1562年(永禄5年):上之郷鵜殿氏の落城で衰退と推測されている。
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*1649年(慶安2年):蒲郡領主松平清昌が再興。
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*1916年(大正5年)3月:県社。
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(日本歴史地名大系ほか)
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1916年(大正5年)3月、県社。
 
[[category:愛知県]]
[[category:愛知県]]

2024年5月18日 (土) 時点における最新版

赤日子神社(あかひこ・じんじゃ)は愛知県蒲郡市神ノ郷町(三河国宝飯郡)にある神社。祭神は綿積豊玉彦豊玉姫彦火火出見命官社県社大嘗祭ゆかりの「神服社」に比定される(『古事類苑』)。『貞観儀式』によると神祇官は9月上旬に神服社神主を神服使として三河国に派遣して、織女など10人を率いて上京した。「あかひこ」は「あかひき」に通じるとして伊勢神宮に「赤引糸」を献納していた三河国の故地はこの地だとする見解もある(荒木田経雅『大神宮儀式解』)。赤孫大明神赤孫子神社とも。(参考:同名神社服部神社

歴史

  • 851年(仁寿1年)10月7日:神階、従五位下(文徳実録)
  • 865年(貞観7年)12月26日:従五位上(三代実録)
  • 876年(貞観18年)6月8日:正五位下(三代実録)
  • 1562年(永禄5年):上之郷鵜殿氏の落城で衰退と推測されている。
  • 1649年(慶安2年):蒲郡領主松平清昌が再興。
  • 1916年(大正5年)3月:県社。

(日本歴史地名大系ほか)

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