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瀧原宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年1月21日 (土)
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- | '''瀧原宮''' | + | '''瀧原宮'''(たきはらのみや)は三重県度会郡大紀町滝原(伊勢国度会郡)にある[[伊勢信仰]]の神社。[[官社]]。[[伊勢神宮所管宮社]]の一つで[[皇大神宮]]別宮。[[伊勢神宮関連旧跡]]。伊勢神宮の遙宮と呼ばれる。いわゆる[[元伊勢]]の一つ。'''瀧原神宮'''とも呼ばれた。 |
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+ | 熊野街道の通る滝原の山間にある。宮川の上流、大内山川が東に折れ頓登川沿いの北側に神域がある。頓登川の岸に御手洗場がある。 | ||
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「大河之瀧原之国」という麗しい土地があったので、ここに宮殿を建てたのが始まりとされる。 | 「大河之瀧原之国」という麗しい土地があったので、ここに宮殿を建てたのが始まりとされる。 | ||
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瀧原宮と瀧原竝宮の二つの別宮が並び立つ理由は本宮に並んで荒御魂を祀るためという説がある。 | 瀧原宮と瀧原竝宮の二つの別宮が並び立つ理由は本宮に並んで荒御魂を祀るためという説がある。 | ||
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第62回式年遷宮の後には東側の御敷地に鎮座している。 | 第62回式年遷宮の後には東側の御敷地に鎮座している。 | ||
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- | * | + | *瀧原宮:皇大神宮別宮。祭神は天照坐皇大神神御魂。鰹木6本、内削ぎの千木を持つ神明造の社殿。 |
*[[瀧原竝宮]]:皇大神宮別宮。祭神は天照坐皇大神神御魂。 | *[[瀧原竝宮]]:皇大神宮別宮。祭神は天照坐皇大神神御魂。 | ||
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*[[多岐原神社]]:皇大神宮摂社。瀧原宮の6km北にある。御瀬社。 | *[[多岐原神社]]:皇大神宮摂社。瀧原宮の6km北にある。御瀬社。 | ||
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2023年1月21日 (土) 時点における最新版
瀧原宮(たきはらのみや)は三重県度会郡大紀町滝原(伊勢国度会郡)にある伊勢信仰の神社。官社。伊勢神宮所管宮社の一つで皇大神宮別宮。伊勢神宮関連旧跡。伊勢神宮の遙宮と呼ばれる。いわゆる元伊勢の一つ。瀧原神宮とも呼ばれた。
歴史
熊野街道の通る滝原の山間にある。宮川の上流、大内山川が東に折れ頓登川沿いの北側に神域がある。頓登川の岸に御手洗場がある。
『倭姫命世記』によると倭姫命が天照大神を奉じて鎮座の適地を求めて巡幸する中、 「大河之瀧原之国」という麗しい土地があったので、ここに宮殿を建てたのが始まりとされる。
この時、宮川の急流に困られた一行を助けたのが真奈胡神で、その神を祀る多岐原神社を建てたという。
『伊勢国風土記』逸文には「瀧原神宮」、 『儀式帳』には「天照大神遥宮」、『延喜式』には「大神遥宮」とある。
瀧原竝宮の起源は不明確だが、平安時代中期には瀧原宮同様の式年遷宮の制度が定まっていたと考えられている。
瀧原宮と瀧原竝宮の二つの別宮が並び立つ理由は本宮に並んで荒御魂を祀るためという説がある。 式年遷宮で左右の御敷地を交互に使っている(?)。 第62回式年遷宮の後には東側の御敷地に鎮座している。
境内
- 瀧原宮:皇大神宮別宮。祭神は天照坐皇大神神御魂。鰹木6本、内削ぎの千木を持つ神明造の社殿。
- 瀧原竝宮:皇大神宮別宮。祭神は天照坐皇大神神御魂。
- 若宮神社:瀧原宮所管社。祭神は不詳。天水分神ともいわれる。
- 長由介神社:瀧原宮所管社。祭神は不詳。
- 川島神社:瀧原宮所管社。祭神は不詳。長由介神社に合祀。
- 祓所:
- 忌火屋殿:
- 御船倉:御船殿。瀧原宮にのみ存在する殿舎。儀式帳にも記載がある。御神体を覆う御樋代を収める倉だったと伝わるが不詳。
- 御手洗:
- 多岐原神社:皇大神宮摂社。瀧原宮の6km北にある。御瀬社。