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飛騨・黄金神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月3日 (木)
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- | '''黄金神社'''は岐阜県高山市堀端町の高山城跡にある[[金山彦信仰]]・[[御霊信仰]]の神社。祭神は金山毘古神・金山毘売神・茂住宗貞・宮島平左衛門。村社。幕府の高山銀絞吹分所の鎮守社だった。[[飛騨護国神社]]境内。 | + | [[ファイル:Hida-gokoku-jinja 011.jpg|thumb|500px|飛騨大神宮・祖霊殿社と共に合祭殿内に祀られている]] |
+ | '''黄金神社'''は岐阜県高山市堀端町の高山城跡にある[[金山彦信仰]]・[[御霊信仰]]の神社。祭神は金山毘古神・金山毘売神・茂住宗貞・宮島平左衛門。村社。幕府の高山銀絞吹分所の鎮守社だった。[[飛騨大神宮]]・祖霊殿社と共に合祭殿内に祀られている。[[飛騨護国神社]]境内。 | ||
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==歴史== | ==歴史== | ||
- | 金山毘古神・金山毘売神は慶長年間に祀ったというが、江戸時代の文献には確認できないという。 | + | *金山毘古神・金山毘売神は慶長年間に祀ったというが、江戸時代の文献には確認できないという。 |
- | 1641年(寛永18年) | + | *1641年(寛永18年)5月:金森頼業が宮島平左衛門の神霊を祀った。明和年間に茂住宗貞が「金の神」として高山城二の丸に祀られた。 |
- | 1824年(文政7年) | + | *1819年(文政2年):桜馬場濠上(現在の境内の下段という)に遷座復興。文政年間に茂住宗貞を合祀。 |
- | 1872年(明治5年) | + | *1824年(文政7年):天照寺境内の古社殿を拝殿として移築。 |
- | 1879年(明治12年) | + | *1855年(安政2年):高山銀絞吹分所の建設でその鎮守となる。 |
- | 1880年(明治13年) | + | *1872年(明治5年):[[水無神社]]の神楽殿を拝殿として移築。 |
- | 1993年(平成5年) | + | *1879年(明治12年)6月:村社に列格。 |
+ | *1880年(明治13年)2月(6月とも):前年創建の中教院大神宮の東側に社殿造営。 | ||
+ | *1993年(平成5年):忠孝苑合祭殿として新社殿を造営し、飛騨大神宮、祖霊殿と共に合わせて祀った。 | ||
(飛騨護国神社ウェブサイト、『大野郡祭神記』) | (飛騨護国神社ウェブサイト、『大野郡祭神記』) | ||
[[category:岐阜県]] | [[category:岐阜県]] |
2023年8月3日 (木) 時点における最新版
黄金神社は岐阜県高山市堀端町の高山城跡にある金山彦信仰・御霊信仰の神社。祭神は金山毘古神・金山毘売神・茂住宗貞・宮島平左衛門。村社。幕府の高山銀絞吹分所の鎮守社だった。飛騨大神宮・祖霊殿社と共に合祭殿内に祀られている。飛騨護国神社境内。
祭神
- 金山毘古神:南宮大社祭神。
- 金山毘売神:
- 茂住宗貞:近世初期に飛騨地方の鉱山を開発した人物で、領主金森長近の側近だった。1589年(天正17年)に鉱山を発見。鉱山奉行を務めたが金森長近が1608年(慶長13年)に死ぬと高山を脱して敦賀に退去。1643年(寛永20年)死去。岐阜県飛騨市神岡町東茂住の邸宅跡に曹洞宗金龍寺がある。異説も多い。
- 宮島平左衛門:金沢藩士。1629年(寛永6年)、高山にきて白川郷の鉱脈を開発。1631年(寛永8年)金山奉行となるが1638年(寛永15年)5月、同僚の讒言で横死した。以後、城内に怪異が頻発したため。1641年(寛永18年)5月、金森頼業が神霊を祀ったという。宮島霊神、平野明神と呼ばれたとも。
歴史
- 金山毘古神・金山毘売神は慶長年間に祀ったというが、江戸時代の文献には確認できないという。
- 1641年(寛永18年)5月:金森頼業が宮島平左衛門の神霊を祀った。明和年間に茂住宗貞が「金の神」として高山城二の丸に祀られた。
- 1819年(文政2年):桜馬場濠上(現在の境内の下段という)に遷座復興。文政年間に茂住宗貞を合祀。
- 1824年(文政7年):天照寺境内の古社殿を拝殿として移築。
- 1855年(安政2年):高山銀絞吹分所の建設でその鎮守となる。
- 1872年(明治5年):水無神社の神楽殿を拝殿として移築。
- 1879年(明治12年)6月:村社に列格。
- 1880年(明治13年)2月(6月とも):前年創建の中教院大神宮の東側に社殿造営。
- 1993年(平成5年):忠孝苑合祭殿として新社殿を造営し、飛騨大神宮、祖霊殿と共に合わせて祀った。
(飛騨護国神社ウェブサイト、『大野郡祭神記』)