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京極寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年7月4日 (土)
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- | '''京極寺''' | + | '''京極寺'''(きょうごくじ)は京都府京都市北区小山下総町にある[[真言宗]]寺院。本尊は[[薬師如来]]。[[平安京]]外の東京極大路の東、三条大路の北(中京区弁慶石町)にあり、のち上京区上御霊竪町に移転した。単立。'''三条京極寺'''。'''京極律寺'''。山号は高陽山。 |
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- | + | 774年(宝亀5年)、[[開成皇子]]が創建。当初は[[天台宗]]だった。 | |
- | + | 782年(延暦1年)、高陽親王(賀陽親王?)が2世となった。[[嵯峨天皇]]の勅願所となった。 | |
- | + | 京極八幡宮は赤八幡宮、京極寺八幡宮ともいわれ、[[日吉大社]]の末社だった。 | |
[[延暦寺]]衆徒の強訴のためにたびたび神輿振りが行われた。 | [[延暦寺]]衆徒の強訴のためにたびたび神輿振りが行われた。 | ||
- | + | 1259年(正元1年)、宗観が中興。 | |
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応仁の乱で焼失。足利義尚が復興。 | 応仁の乱で焼失。足利義尚が復興。 | ||
応仁以来は[[仁和寺門跡]]の末寺となった。 | 応仁以来は[[仁和寺門跡]]の末寺となった。 |
2020年7月4日 (土) 時点における最新版
京極寺(きょうごくじ)は京都府京都市北区小山下総町にある真言宗寺院。本尊は薬師如来。平安京外の東京極大路の東、三条大路の北(中京区弁慶石町)にあり、のち上京区上御霊竪町に移転した。単立。三条京極寺。京極律寺。山号は高陽山。 鎮守として京極八幡宮があった。
歴史
774年(宝亀5年)、開成皇子が創建。当初は天台宗だった。 782年(延暦1年)、高陽親王(賀陽親王?)が2世となった。嵯峨天皇の勅願所となった。 京極八幡宮は赤八幡宮、京極寺八幡宮ともいわれ、日吉大社の末社だった。 延暦寺衆徒の強訴のためにたびたび神輿振りが行われた。
1259年(正元1年)、宗観が中興。
律宗になったのはこの時か。
応仁の乱で焼失。足利義尚が復興。
応仁以来は仁和寺門跡の末寺となった。
大正年間に現在地に移転。
(『日本歴史地名大系』ほか)